アレキサンドルネフスキー大聖堂      ブルガリア正教の本山

ネオビザンチン建築様式  ドームが交差のバシリカ建築  

1877年の露土戦争のロシア兵戦没者を讃えて1912年建立    ソフィア   ブルガリア


聖堂前の広場では たくさんのイコンが露店で売られている

聖ソフィア教会   6C ユスティニアヌス帝の時代創建  ソフィアは古代ギリシャ語で「叡智」ブルガリア 16/10/2013

聖ニコライ教会 1914年 在住ロシア人のために建立 ロシア正教会      ソフィア    ブルガリア   16/10/2013

聖ゲオルギ教会 ゲオルギウスは英語でジョージ

廻りはThe Largoラルゴ(ダウンタウン建築complex)


聖ゲオルギ教会     丸屋根の円形教会(ロトンダ)   4C末コンスタンチヌス帝の治世下で建立される   6C末再建され内部の壁・天井のフレスコ画は10C~16Cのものである   周囲には浴場などの古代ローマ遺跡がある (古代都市セルディカ)          230013        16/10/2013    ソフィア    ブルガリア

聖ペトカ地下教会  14C創建  オスマン帝国統治下の時代   キリスト教会は低く建てさせられた

奥にはモスクとミナレット    右はツム百貨店  


入口キャノピー  リラ修道院

リラの僧院 リラの聖ヨハネ修道院   の別名あり


リラの僧院         リラ山脈北西、海抜1147mに位置しリラ川の深い低地にある ブルガリア正教会の総本山で イヴァン・リルスキ僧により10Cに創建され14Cと19Cに再建されている オスマン帝国時代の約500年間も 僧院の信仰は黙認された        230011        17/10/2013    リラ     ブルガリア

リラの修道院 4階建ての外棟には300もの部屋・4つの聖堂・修道院長室などが入る

廻りの山は紅葉・黄葉を深めている   中央の聖母誕生教会は19C半ばに建設される

外側の壁や天井には  36の聖書の場面やこの地方の生活がフレスコ画で描かれる  


トラキヤ人の墓遺跡 

カザンラクの町に入る                                                  17/10/2013


パネル展示

墳墓の測量図

天井画   (レプリカ)


チャルシャ通り             ベリコ・タルノボ  ブルガリア

リンデンの木で民芸品を作る「お兄さん」


ツァラベツの丘 アルバナシ村    中世の王宮跡や城壁が残されている  早朝 18/10/2019ベリコ・タルノボ

チャルシャ通り   ヴェリコタルノヴォ      この町はヤントラ川沿いにひろがり第二次ブルガリア帝国(1185年~1396年)の首都であった  旧市街には中世のおもかげを残す職人街があり金細工、陶器、革製品、木彫りの民芸店などが並んでいます       230014   ブルガリア   18/10/2013   

ドナウ川を渡ってブルガリアからルーマニアヘ北上


シナイア僧院  シナイアという町は中世にルーマニア人の貴族ミハイ・カンタクジーによって開かれる 17Cに彼はイスラエルに巡礼の旅に出て シナイ山に参詣したことに因んで ここにシナイア修道院を建てた その後ルーマニア王カルロス1世が 夏の離宮ペレス城を建てた           

シナイア僧院

古い教会入口のフレスコ画 


ペレス城      ルーマニア王室 (ブカレスト) の夏の離宮     ドイツルネサンス様式   シナイアはカルパチア山脈の中腹にあり夏は涼しい 18Cには王侯貴族たちの別荘があちこちにできたことから シナイアは「カルパチアの真珠」と呼ばれる            シナイア     ルーマニア   19/10/2013 


ペレス城

ペレス城 中庭


中庭の壁に描かれたユーモラスな絵

ロフトに上がる螺旋階段は実に細やか

重々しい石と木の装飾


アトリウム天井のルーフライトにも手を抜いていない

アトリウムの階段ホール

8枚組のステンドグラスの入る窓

トランシルヴァニア山脈の山並み                                 ルーマニア


城内への階段 19/10/2013

ブラン城 【歴史】この場所には13Cドイツ騎士団によって建てられた要塞があった  のち14Cブラショフの職人たちの金で「石の要塞」を建てる権利を承諾するハンガリーの王の文書が残る  1407年ドイツ・ハンガリー皇帝はワラキア公国に所有権を与え

1427年管理権をトランシルヴァニア公に移す 15Cにはブラショフ市が所有   1920年ブラショフ市はルーマニア王妃に寄進  二次大戦後国有財産となる アイルランドの作家ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」のモデルされているが   ブラド3世串刺し公はこの城に住まず 祖父が居城としていた  


観光客でごった返す麓のブラン民芸品村

城の内側


部屋隅には暖炉

ルーマニア王国の旗


ブラン村の展望


プレジュメール要塞教会   14~15C     この地方は何度も遊牧民やオスマントルコからの侵略を受けた結果 村を守るために強固な要塞教会群がつくられた 

プレジュメール

トンネルを越えると教会

円形の直径約100mの城壁外周には  外敵に攻められたときのために   3階建200所帯分の避難住居が設けられる


小さな入口  ルター派プロテスタントの教会

塔の最上部は見張り台にも

祭壇画(15C)以外ほとんど装飾はない 


銃を並べる溝のついた扉 「死のオルガン」

小さい方の銃眼


子供の教室もあった


聖ニコラエ聖堂     13Cにゴシック様式で建立され後にバロック様式に直される    ルーマニア正教

左はルーマニア語で初めて教育が行われたルーマニア最古の学校  ブラショフ    ルーマニア        19/10/2013

ブラショフで出会った結婚式    新郎新婦にまけず付き添いの友人たちもきまっています    ブラショフ  トランシルヴァニア地方   ルーマニア             19/10/2013


スケイ門 12Cドイツ商人によってこの町がつくられたとき 先住のルーマニア人はこの門を堺に締め出された

イヴェントで賑わう スファルトゥルイ広場    

黒の教会   1689年ハプスブルグの攻撃を受けて黒焦げになったためこの名がつく

後期ゴシック建築   ブラショフ 20/10/2013

 

スファルトゥルイ広場


ピエルタン要塞教会

ピエルタン要塞教会


城壁から見るピエルタンの村 12Cドイツ系移民ザクセン人が開拓した村 教会を中心に城壁で囲み 村人が籠城できるようにした        ピエルタン  トランシルヴァニア  20/10/2013

シギショアラの案内地図


山上教会教会への階段登り口                シギショアラ  20/10/2013

シギショアラ  民衆の広場より時計塔をみる     残念ながら仕掛け時計は動いていない

奥の黄色の建物がブラド3世(吸血鬼のモデルで串刺公ともいわれる)の生家  

15Cにワラキア公ブラド・ドラクルの息子ブラド・ツェペシュとして生まれる 230017        20/10/2013

右 ブラド・ドラクルの家 

息子ブラド・ツェペシュの生家でもある

一部原画が壁に残る

イメージ画


時計塔の仕掛け時計 今は動いていない


シギショアラの町   時計塔のバルコニーより 12Cハンガリー王国が辺境防衛にドイツの職人と商人(トランシルヴァニア・ザクセン人)を入植させる  ギルド制がしかれ14Cに自治都市となる ルーマニアの7つの要塞都市の1つで 中世ドイツの建築様式がのこる    20/10/2013   ルーマニア

シギショアラ

シギショアラの坂道


スタヴロポレオス教会     1724年 ブルンコヴェアス様式  ワラキアで発展したビザンチンとの折衷様式

国民の館 故チャウシェスク大統領が贅を尽くして建てさせた宮殿  部屋数3107室にのぼる 

宮殿のバルコニーからの眺め  統一大通り       ブカレスト    ルーマニア 10/2013

 大学図書館

旧共産党本部 と   革命広場


革命犠牲者のための慰霊碑     旧共産党本部前にある ブカレスト  ルーマニア


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