ギザ の ピラミッド コンプレックス              エジプトに行ったころはデジカメの出はじめで 画素数もメモリーも小さくとてもアップにたえませんが       1997年のルクソールの銃乱射事件以来 長らく停止されていた外国人旅行者受入れが再開された最初の年でした    カイロ   エジプト    12/2002   

右 クフ王  左 カフラ王  の ピラミッド


クフ王のピラミッド BC26C     第4王朝期のファラオ 古王国時代 世界最大の石造建築物 下の穴は9Cに カリフ  アル・マムーンが盗掘のため開けたもの   「マムーンの穴」と呼ばれている

ここまで下がるとギザの3つのピラミッド クフ王・カフラ王・メンカウラ王の揃い踏みが見えます

スフィンクスとカフラ王のピラミッド  ここから見るとスフィンクスは河岸神殿からカフラ王のピラミッドへの参道に隣接する位置にあることがわかる      

エジプトではたくさんのスフィンクスがつくられたが これが最大にして最古 古代エジプト語「シュセプ・アンク(復活の像)」が語源 顔は人間体はライオン

川岸神殿の向こうはナイル川をはさんで  カイロのダウンタウンが見えている

川岸神殿   アスワンから運んだ花崗岩で出来た石組


カイロ南部の郊外風景 運河と鉄道 そしてナツメヤシの畑が広がる

屈折ピラミッド     スネフェル王(クフ王の父)のピラミッド    傾斜が途中からなだらかに変化 主説は2つあるが   この建設の最中にメイドゥムのピラミッドが崩壊したことや スネフェル王の死期に間に合うように設計を変更したなど 石積も傾斜積みから平積みに変わる      ダハシュール

赤のピラミッド  第4王朝   スネフェル王(クフ王の父)の建設 表面を覆っていた石灰岩の化粧部分がなくなって中の赤っぽい石が露出してこの名がつく 1㎞北にある屈折ピラミッドの次に建てられ  壁面が2等辺三角形の四角錐                                             ダハシュール                                 

アラバスター製のスフィンクス    第18王朝アメンヘテプ2世が建設        プタハ神殿に捧げられた   プタハは古代エギプトの首都メンフィスの主神     宇宙の創造神で鍛冶や彫刻の神でギリシャ神話のヘファイストス・ローマ神話のウルカノスの同じものとされる            メンフィス

ラムセス2世の立像 左足を一歩前に出して立つ

ラムセス2世の像 (プタハ神殿の前に建てていたもの)

顔の部分


ピラミッド建設の第一歩を記したゼセル王の階段ピラミッド     BC27C   第3王朝第2代ゼセル王がイムヘテプに命じてつくらせる ピラミッド以前の方形の墓ムスタバの形状が残る    サッカラ

ゼセル王のピラミッド・コンプレックス

メンフィスのネクロポリス(死者の町)として数多くのムスタバがつくられた サッカラ


メムノンの巨像        ルクソール                 実際はアメンヘテプ3世(後方に同王の葬祭殿があった)がモデルらしいが ギリシャ神話のトロイ戦争で 叔父にあたるプリアモス王の援軍として参戦し アキレウスの刃にたおれたエチオピアの王子「メムノンの巨像」と呼ばれている 岩のきしむ音がその無念さを思わせたのだろうか                                                                         310111  エジプト

ハトシェプスト女王葬祭殿 側近であった センムトの設計 トトメス1世の娘でエジプト初の女王 トトメス2世の正妻 トトメス3世はトトメス2世の妾腹の子で ハトシェプストは継母になる 

【ルクソール事件】1997年イスラム原理主義者の6人がここで銃乱射のテロ事件をおこし 日本人10人を含む観光客62人が死亡した  以来5年間当局は観光を止めていたが  今年再開された

葬祭殿内部の壁画 右テーベの守護神アメン神

第2柱廊


王家の谷  Kings Vally 新王国時代の24の王墓を含む64の墓が発見されている トトメス1世(BC1512没)が自分の墓を隠すことを願い  この谷に初めて岩窟墓が建設された  

ラムセス6世  玄室 へ向かう    王家の谷   ネクロポリス     ルクソール

ヌト 、シュー、、 ゲブのパピルス画     エジプト神話で大地の神ゲブの上に  大気の神シューが立ち  天空の神ヌトを支える    結ばれたヌトとゲブをシュー引き離し天と地ができた(ギリシャ神話のウラノスとガイアみたいです) 腹部には天の川が輝く オシリス、イシス、セトネフティス、は2人の子供

玄室の天井画  ヘリオポリスの神話で  ヌト、 シュー、 ゲブの シュー は 天空の神である娘ヌトをもち上げる「光る大気」  


カルナック神殿       ルクソール東岸にあり 古代エジプト中王国時代の最高神アメン神を祀る   アメン神はもともと地方神であったが ルクソールが都(テーベ)になると 太陽神ラーと合体した アメン・ラー神を祀る神殿とした使われた ハトシェプスト 、トトメス3世、セティ1世、ラムセス2世などの王により増改築が繰り返される アメン神の聖獣牡羊の頭をもつスフィンクス像が参道の両側にならぶ 正面は第一塔門で幅113m高さ43mエジプト最大規模を誇る 中央の通りの第二塔門左にパネジェムの巨像とさらに奥の大列柱室がすこしのぞいている                                   ルクソール     エジプト

大列柱室                        カルナック神殿

牡羊の頭を持つスフィンクス像が並ぶ参道 

カルナック神殿 第1塔門はシェションク1世による造営


カルナック神殿  大列柱室         第2塔門と第3三塔門の間に134本の列柱(パピルス柱)が並ぶ 当時は極彩色であった    開花様式パピルス柱で最も高いものは21m直径3.6mにもなる    写真は閉花式様式  セティ1世が着工しラムセス2世が完成させる     ルクソール      

ハトシェプスト女王のオベリスク  高さ約30m

アスワンの赤色花崗岩でつくられる  1対であったが1本は折れて横たわる 

石柱はドラムを何段も積み上げているが その重量感はすごい   梁の上に採光の高窓が見えている 「カルナック」はアラビア語で窓の意味

           カルナック神殿


パネジェムの巨像 本来ラムセス2世のものをパネジュム1世に書き換えた 石像のリユースです

            カルナック神殿    

第一中庭の外壁と列柱廊

スカラベの像  古代エジプト人は糞をころがす姿を 太陽を動かすケペラ神に重ねてスカラベを崇めた この廻りを左に3回ると良いことがあるようです


第1塔門とオベリスク  本来1対であったが 右にあった1本は 王への高価な時計(カイロのアリモスクの塔に設置)の対価として フランスのコンコルド広場に   通路両側に1対のラムセス2世像

第1塔門を越えると 左中央部に 13Cのモスクが    埋もれたエジプト遺跡の上に建つ  

大列柱廊 第1塔門方向を見る


アメンヘテプ3世の中庭  閉花式のパピルス柱に囲われる

オペトの祭りが描かれる  ファラオ時代のオペト祭りは カルナック神殿からアメン神と妻ムト神、子供のコンス神の像を船に乗せて ルクソール神殿に納めて祀り またカルナック神殿に帰る儀式です 

アメン・ラー神とオシリス神                        ルクソール神殿

4~6Cにローマ軍が砦として使い ドーム天井やコラムが残る

ルクソール神殿内 ここではギリシャもローマも、キリスト教もイスラム教も古代エジプト文化の前には存在感がない

アレキサンダー大王が奉納した聖船安置所 (大王の間)


ルクソールの町         2003

馬車による町の観光


ルクソールから空路でアスワンヘ

アスワン到着


ナイル川を航行するクルーズ船                      アスワン

アスワンハイダム

古代の石切り場跡

切りかけのオベリスク


アブシンベル大神殿    1954年ナセル大統領がアスワンハイダムの建設を計画 1955年人類にとって貴重な水没するヌビアの文化遺産を救済すべくユネスコが立ち上がった アブシンベル神殿はスウェーデン案が採用され 1036個のブロックに分解されて  5年をかけて(北へ64m西へ110m)移築された 

神殿後方の山はコンクリートのドームになっている 

アブシンベル大神殿  入口正面にはラムセス2世像が4体


オシリス像 大列柱室には8体のオシリス像が

4体ずつ向かい合って並ぶ

ヒッタイトとの「カディシュの戦い」BC1286年


至聖所  左から  宇宙の創造神プタハ、王の守護神アメン・ラー神、神格化されたラムセス2世、太陽神ラー・ホルアクティー の4体   春分の日と秋分の日の年2回朝日がい直線に至聖所に差し込む  

アブ・シンベル小神殿       ラムセス2世が第1王妃ネフェルタリのために築いた  ハトホル女神に捧げられた

国立カイロ考古学博物館内                  タハリール広場 カイロ   

クフ王の残された唯一の像    巨大なピラミッドのイメージからはほど遠い

ツタンカーメンの像

ハトシェプスト女王の像  男装姿


ツタンカーメン王の玉座  背もたれには妻アンケシェナーメンとの仲睦まじい姿が描かれる

ツタンカーメンのミイラ形の棺は石棺に入れられて更に4重の厨子に納められていた


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