イラン  ケシュム島  この島はイラン自由特区の1つであり  JICA「エコアイランド構想」のプロジェクトも進んでいる 今イラン本土との連絡橋が建設中です

ドゥバイ より約1時間のフライト 17/11/2018

バンダルアッバース 手前上空


ペルシャ湾 の海の幸が並ぶ魚市場

ランチをとった市場近くのシーフードレストラン


バンダルアッバースは8Cには陸路と海路の交わる交易都市として存在  16Cペルシャはチャルディラーン の戦い(1514年)でオスマントルコ に破れるが この混乱期にポルトガルの支配を受ける 1615年サファビー朝のシャー・アッバース1世とイングランドが組んでポルトガルを追放 町はイングランドの影響下で繁栄するが18Cには衰退 現在の地名はアッバース1世に因む バンダルは港の意味   現在も重要な港湾都市である  人口は約80万と現地の人に聞いた

交易拠点の歴史を物語るコンパスのシンボル

フェリーターミナルを出港    ケシム島の ケシムシティーへ 


島民と観光客には欠かせない交通のライフライン     約1時間のクルーズでした   ケシムシティー    ケシム島    

ヘンガム島        ドルフィンベイ        今朝はドルフィン・ウォッチングに出かける  18/11/2018 

ミナミハンドウイルカは比較的沿岸部に棲み  灰色で体長は約3m

サメではないですよ!

イルカショーの様な ジャンプの瞬間は撮れず   小ジャンプは何回かあったのだが・・・残念!

ヘンガム島  ビーチから上陸する   

貝殻細工の装飾品のみやげ物の店が並ぶビーチ                                                           ヘンガム島

ネガーブ(ニカブ)と呼ばれるデザイン性豊かな 島伝統のアイマスクを付けてくれた 本来宗教的に顔を隠すためだが  日除けの意味もあるようです                  ヘンガム島

遊び盛りの島のこどもたち 右の子は怪獣のフィギュアを持っている

サモサ を揚げる女性  インド料理としてよく知られている   ここではエビを入れた春巻き風軽食


島には石油・天然ガスの地下資源も開発されている 自然と開発の共存も「エコアイランド構想」のテーマのはず

ラフト(ナシール)城  入口       この城はサファビー朝期(16C)のもので一辺が32mの四角形に設計されている  粗石とSarujが主要な建築材となっている 城壁の四隅には円形の塔がつくられている 入り口は城壁の西面にあり その両側には楕円形の塔が設置されその上にはアーチ状の屋根がかかる  要衝の地であった証拠ですね        

タラの井戸群  井戸の数はうるう年の分も考慮して1年分の366個あります 井戸はミフラブとして使われ 毎日替えられた それぞれの井戸には名前がつけられていた 

井戸の水源は雨水とラフトの丘からの地下水です                                               ラスト村


この村では たくさんのバードギールがいまなお使われている                                ラフト村

干潮で吃水が見える現役の木造船 ここではレンジ・ボートと呼ばれる伝統的な貨物船

広場の陸上展示船 2本マスト   ラフト村


中東では最大のハラ・マングローブ    1970年からラムサール条約に登録 約100種の鳥類が飛来するらしいが  冬から春がベストシーズンらしい               ハラ・マングローブ 18/11/2018

ダイサギ

アフリカン クロサギ


距離はあったが フラミンゴの編隊飛行をキャッチ

フラミンゴの群れ 今度は正面から   ピンクの翼が映える  後ろにマングローブと干潟が見える

カニチドリ

ヘラサギ

トキの仲間


ヘラサギ  と    フラミンゴ

この辺でよく見たT型の定置網

地域開発会社のマネジャー  アリ・ポウザン氏  グーラン村

クルージングした船と同型のタルタリボート

ダウ船にも発展の歴史がある


ランチクルージングのスタッフ

ドラムと笛の演奏が始まる


すばらしい張りのあるバリトンの喉を聞かせてくれた

港で遊んでいた子供 服がとてもかわいい

ドックはないがクレードルで造船中の木造大型船         グーラン村

建造中の船     3千万円位するそうだ    船体にはインドやアフリカからきたチーク材が使われている


チャークーヴァレー  メーサ部が見えている 

砂漠にはアカシア系の木が疎らに生える


現地案内板のダイジェスト     この地質学的なエリアは水の浸食や峡谷の形成のよい見本です このサラクの背斜(anticline) は岩石層が褶曲(fold)される 構造的な変動で峰ができ斜面ができたものです また背斜の側面(flank)にも節理(joint)と断層(fault)ができ 浸食が進んでいきます    チャークーヴァレーは石灰岩やシルト岩の泥灰土(マール marl)の浸食がすすんで最初にできた地峡(gorge)です                     チャークーヴァレーの背斜面

月があるから地球をより感じます

これは「月から見た地球」 いや  空は黒いはず

古くから地元民は  この峡谷に4つの井戸を掘り  雨水を貯めて 乾季に備えました 今でも使われていると言う(下中央円形)     ペトラ遺跡を思い出しますね

峡谷の本線に直交する方向に 地殻変動(浸食でない)によりできた2本目の峡谷

これは本線の峡谷

今日はここで日没を迎える

チャークーヴァレー       18/11/2018


ゲシュム島のゲストハウスで迎えた朝     ナツメヤシの幹がハンモックの柱に使われる


  スタチューヴァレーは地質学的なエリアに囲まれ  遠くには地形学的なメサの台地やアンティクラインが見えます「ケシムの屋根」はケシム島が隆起して 海岸線が後退し 陸地ガ増えた結果できたものです   このメサは浸食によって 過ってはつながっていた「ケシムの屋根」から形づくられたものです   プレート的にはこの辺はアラビアプレートとユーラシアプレートと衝突型境界になります 

 峡谷の入り口には無数の二枚貝やサンゴの化石 (数百万年前のもの) がみられ   この土地が海底から隆起したことや 当時の水温が高かったことを示している  この谷は激しい浸食によって岩石が色々な像に見えることから  スタチュー(タンディス=彫像)ヴァレーと呼ばれる

サンゴや二枚貝の化石

カキの化石


現地案内板ダイジェスト    この辺も他のエリアと同じように 上層の硬く結合した石灰岩層の崩壊にともない 下層の泥灰土(marl粘土質と石灰の混合物の堆積) 層の浸食が速まりました  いくつかのタイプの石柱が見られますが 内部の堆積層の形成の違いが  雨の浸食結果の違いに出ているようです             スタチューヴァレー    19/11/2018

カッパドキアにもありそうな地形              中央アジアでいえば ヤルダン地形になるのでしょうか

ナマクダン・ソールトケーブ   右に入口の一つが見えてます  ソルト・ドームは地中にある塩分を含む巨大な球状の岩塊が 周囲より軽いため地表に浮き出てきたものです

内側から見る ソルトケーブの入口 ケシムの地層は比較的新しい洪積世時代(200万~1万年前)のものですが  ソルトドームのものは5億4千万年以上前の先カンブリア時代に形成されたものです

人がゆうゆうあるけるソルトドーム 塩にも

stalactite  & stalagmite  があるようです

ナマクダンには世界一長い6.8kmのケーブも含め15ほどあるが ここは500mで行き止まり


 バシラ    ここはケシム島のほぼ西端に位置するヴューポイント   「ルーフオブゲシュム」には行けなかったが きっとこんな感じではと思います  北には平野部と海が見える    ケシム島 19/11/2018

台地の何層にもなる石柱崖とふもとの小丘が織りなす地形は天地創造のジオサイトです

まるで地図帳によくある山の高低表現のようです

さすがにここまで近づくと腰がひける

ドローン 楽しそうですね

伝統楽器で弾き語り ランチのレストラン ソヘイリ村


ポルトガル城址          19/11/2018

内部の貯水槽


16C初頭   ポルトガル総督の命により アラブ人の奴隷を使い  石とモルタルでペルシャ湾に臨んで建てられた   ここには見張り塔、貯水槽、警護兵の休憩所、武器弾薬庫、砲台が備えられていた ホルズム海峡沿いの他の砦と同じように  この砦も サファビー朝のアッバース1世の統治時代に  傑出した司令官イマム・ゴリ・カーンにより解放された  その時以来 時代はかわってもイラン軍により この砦はペルシャ湾を護るために 使われてきた    ケシム島 19/11/2018    

スターヴァレーの入り口   ケシムシティーから西に15kmと近い

観光ロバのおじさん ヤスドの沈黙の塔

にもいたが  もう亡くなったそうだ・・・


スターヴァレー  地元民の間で スターヴァレーは「落下した星」という意味の名前で呼ばれています その昔 ある星が地球に衝突し  石や土が散らばって凍り付き このような地形ができたと言う伝説に由来しています

スターヴァレー  この地層は シンプルにいいますと上の硬い薄い層と下の軟らかい厚い層の二層から形成されていることがよくわかります 上の層に割れが入ると下層への浸食は加速度がついて進むので 上の層を歩くことは制限されていますが   監視がいないのでみんな歩いているようです       cf.   Nishan formation

上に行くほどこの地形が広がり ここも絶景のジオサイトでありことがわかります

チムニースクエアにあるビュート


貯水槽 (アバンバル) 今も使われている 

貯水槽の内部


ケシム島ともお別れだ すぐ満席になった


ケシムシティーのフェリーターミナル

モダンなショッピングモール     アイスクリームをたのんで500000 リアル札を出したら おつりがなくタダにしてくれた

ネガブのマスクもファッションです

            バンダルアッバース


外・内観に大理石がふんだんに使われた ゴージャスな レストランでのランチでした バンダルアッバース

フルーツが山盛り  ザクロの語源はイランのザクロス山脈から来ている  こちらでは夏至にはスイカを  冬至にはザクロを食べる習慣があるそうだ       沿道の露天商

ホテルにチェックイン するが一晩中雷雨が続く

内部の設備は十分だった  20/11/2018


雨上がりのホテルの朝  伝統的家屋「キャパリ」のバンガローハウス  が客室 ガルエ・ギャンジ

キャパリ の外観 素材はナツメヤシ

ホテル のフロント      早朝の出発 21/11/2018


MAHANの町

昼食のレストラン


イランは そのむかし地質学的にゴンドワナ大陸から分離され テチス海を移動してローレシア大陸(今のアルボルズ山脈部分)に衝突した シンメリア大陸のエリアに位置しています  これはバスの窓から撮った景観です  まだ行ったことはありませんが イラン西部のアラダグラール(カラフルな山の意味) や トルクメニスタンのヤンギカラも同じ様な地質構造でしょうか  ここも何か 鉄分を含む緑泥石の層がありそうです 変わった景色なので何気なくとりましたが 当たっていれば感激です

だいぶ高度も上がってきたようで肌寒い プラタナスの葉も落ち始めている   MAHAN

上の  グーグルマップ で 地形確認!   標高2400m付近       マハーン    イラン

 夕暮れのルート砂漠にドライブする   4WDは130~140km/hの速度で怖い   シャフダード  21/11/2018 

ルート砂漠  はイラン南東部にあり国土の約10%を占める大砂漠「ルート」はペルシャ語で「水がなく植物が生えない」という意味  周囲を山に囲まれて 太陽熱を砂漠が吸収して最高気温70.7℃の記録がある ルート砂漠にはシルト(粘土・塩分・石灰を含)の砕石物が堆積して それが風食されてできた天然の砂城 は「キャルート」と呼ばれ 後述の「ネブカ」とともにルート砂漠の名物です                                                                  シャフダード より         21/11/2018

今回の旅は満月の時期と重なったようだ  満月はいいが  星はさっぱりです

砂地でトライポッドはなかなかセットしにくい                                      21/11/2018

シャーフダートのゲストハウス  ASHARE の中庭      22/11/2018

ナツメヤシで葺いたバンガローハウス  夜は寒くて電気ストーブを入れた  トイレ・シャワーは共同


これは「ネブカ」と呼ばれ  砂漠にたくさんの小丘が一面に広がり  その上には背の低い1本ないし複数のタマリンダの灌木ガ生えています 砂漠に木が生えると木の周辺には 風によって砂がたまるが そこ以外の湿気のある土壌は吹き飛ばされる  木は埋もれまいと上に伸びるように成長し  地下水を吸収するために地中深く根を伸ばします  これを繰り返すことでこのような地形が生まれるのです   シャーフダート   22/11/2018

日の出をねらって  早朝 再びルート砂漠へ         この辺は「キャルート」の奇岩地帯   22/11/2018

ルート砂漠の日の出

地面には 塩分を含む雨水が流れてきて広い場所に溜まり やがて水分が蒸発して 塩の結晶の多角形模様ができている

ところどころに塩の結晶が見える

朝日を浴びるキャルート

【ラピスラズリの道】この砂漠を超えて遥か昔から 幾多の交易品が運ばれたが  貴石のラピスラズリもその一つ アフガニスタンの東北部バダフシャン地方に産し  古くは古代エジプトのツタンカーメン像にも使われたり   碑文にもあるように BC500年頃アケメネス朝ダレイオス1世が スーサの宮殿を造るためラピスラズリを運ばせたりしている 産地バダフシャンから 北へは ソグディアナのサマルカンドやブハラ方面へ  南へはヒンドゥークシ山脈を越えアフガニスタンのカブールを経てインドやペルシャ・メソポタミア方面に運ばれた ペルシャ時代には北部にあるテペ・ヒッサールやアフガン国境のシャフリ・ソフタ  南部のテペ・ヤフヤの遺跡において ラピスラズリの加工場跡や多数の加工道具が発見されています 

テペ・ヤフヤをさらに南下してペルシャ湾のオマーン半島周辺で 海路を西はメソポタミア、エジプト  東はインダス文明地域へと運ばれたようです   中国へのルートはバダフシャン地方のものがパミール高原を越えて東トルキスタンを経由して伝わったようです 最近ルート砂漠のこの辺では  ジロフト文明の遺跡が発見され注目を受けているようです  

キャラヴァンサライ  跡  ルート砂漠を旅する人には なくてはならない所であった シャフダード      

キャラヴァンサライ の中庭  

貯水場(アバンバル)

ここも町のライフラインであった所

今は使われていない


峠の緑地   砂漠からくると紅葉・黄葉が鮮やかだ

一路 ケルマン へ

ガンジャリカーン 広場  17C       バザールの反対側にはモスク や メドレセがある バードギールは立派だ

 ケルマンは 3Cササン朝のアルダシール1世により開かれる 1271年 マルコ・ポーロが訪れたとき  この地はペルシャ湾とホラーサンから中央アジアへの通商路の拠点であった    サファビー朝期に急拡大する

カンジャリカーン の像   歴史的知名度はなさそう

バキール    バザール    (アラビア語ではスーク)


カンジャリ  ハマム    17Cサファビー朝期の建設 現在ハマム博物館     ハマムはローマ文化を受け継いだもの 保温などの目的で一般的に半地下につくられ  入口には番台が置かれた  水はカナート・ファラジや井戸水からとられ  燃料は薪や家畜の乾燥糞が使われた このカンジャリハマムは8区画と半8区画に分かれています                          ケルマン    イラン    23/11/2018

これは水盤で浴槽ではありません    ハマムは基本的に蒸し風呂です

天井は石膏のムカルナス装飾  採光窓は小さい

社交と娯楽の場でもありました


タイルの象嵌装飾もみどころです

オージーアーチとボールト天井

中世の西洋と同様  マッサージ・散髪・剃毛・瀉血などのサービスがあった これは瀉血


天窓からの日時計

当時の風俗がよくわかるミニアチュールタイル

(下)は過ってのハマム(19C)を利用した

チャイハネ ・イェ・ ヴァキール


チャイハネ ・イェ・ ヴァキームは地下にある

伝統楽器 サントゥール  と タンバリン 演奏で 熱唱


ソロの熱唱だが  全部タイル張りなので音の反響はスゴイ !

この女性グループは みんな乗りに乗って コーラスと手拍子をいれ ていた この旅行中こんなに発散しているムスリムの女性達をみたのは驚きでした またこんなの美人の横にすわれるともおもわなかった モノクロ映画でみた 銀幕の女王 原節子さんに似ているようだ

ピントが中央に合ってしまったのが悔やまれるが  後味よくこの旅を締めよう  22/11/2018