インド門  インド第2の都市ムンバイのシンボル 1911年英国王ジョージ5世の来印記念碑 建築はグジャラート様式素材は玄武岩 マハーラーシュトラ州 29/4/2023 

タージ・マハル・ホテル  1903年完成 ラッフルズと並び「アジアの星」と呼ばれた  

インド門とタージマハルホテル 旧館と新館


歴史にスポットライト

旧館 ロビー


CTS駅 植民地時代造られたヴィクトリアン・ゴシック様式の駅舎 世界遺産 

長距離列車も通勤列車も乗入れるホーム

駅構内の雑踏


 重量感のある大理石造りの券売所側

エレファンタ島の石窟寺院 全てシバ神を祀る 6~8Cの作 インド三大石窟の1つ 世界遺産

第1窟 メインホールは約40m四方の空間で 壁面には古代叙事詩のレリーフが施される


シバ神3面上半身像   エレファンタ島 ムンバイ湾内の小島 29/4/2023 

ワゴーラー川沿いの断崖をくり抜いたアジャンターの大小30の仏教石窟寺院群   開窟 前期BC1c~AD2c ・後期5c後半~6c   チャイティア(仏塔様式)窟とヴィハーラ(僧院様式)の2種類がある   玄奘三蔵も7cに訪れている   クシャナ王朝後の5c アーリア人が興したグプタ朝時代でインドの仏教は隆盛を極め  ガンダーラに見られたヘレニズム趣味は一掃され インドの創造的なグプタ様式を残している 中国を経て飛鳥時代の日本までグプタ様式が伝えられ 法隆寺金堂の壁画にその影響をみることができる グプタ朝の仏像の彫刻は「マトゥラー美術」とも呼ばれインド独自のものに変化する 優美・気品・調和などに形容される

第1窟 マハージャナカ(ブッダ前世の姿)の本生図

前世で宮廷を捨て城門をでて出家する場面


中央で生まれた釈迦を抱いているのがブラフマー(梵天)とインドラ(帝釈天)  横に母のマーヤー

第1窟 守門(脇侍)像 右手に蓮華の花を持つ蓮華手観音菩薩像とも 法隆寺の壁画のモデルともいわれる  テンペラ技法 後期 ヴィハーラ窟

第1窟  反対側には金剛手菩薩像(大日如来を守護する菩薩)

第1窟 御本尊ブッダ像祀る本堂    手は転法輪印を結ぶ

第1窟 柱頭の形状などはヘレニズムから来ているが  彩色とレリーフ模様はグプタ様式

天井には植物の模様がある ペルシャのアラベスクの影響といわれる

アラベスクは植物の幾何学的連続模様でイスラム美術のモチーフとして使われ完成されていく


石窟群は550mにわたるワゴーラー川の断崖に断続的に穿たれている

第9窟(前期チャオティア窟)  柱に描かれた絵


第9窟のストゥーパ   前期チャイティア窟 

第26窟 大きなストゥーパ(仏塔・仏舎利)を持つチャイティヤの様式  後期の建造で 完成窟としては最後のもの

第19窟 後期チャイティア窟


第26窟 降魔成道のレリーフ

エローラ石窟群 シャラダドリ台地に5世紀から10世紀にかけて造られた仏教12・ヒンドゥー教17・ジャイナ教5の石窟寺院で構成される     1/5/2023   

第10 窟 ヴィシュマカルマ窟 石窟自体本来は木造の建築を模しているので出来栄えから「大工の石窟」とも言われる 7cの最後期のチャイティア窟 ストゥーパ より仏像に重点が置かれている  エローラ遺跡

第32窟 9cにこの地の王がジャイナ教を保護したため造られたジャイナ教寺院 門をくぐるとすぐに四面堂が現れる   ジャイナ教はほぼ仏教と同時期BC6c~BC5cに開祖ヴァルダマーナにより広められ 苦行・禁欲主義をもって知られ 「心理は多様に言い表せる」と説いた 今なお500万人の信徒がいるとされる                         エローラ遺跡  1/5/2023

第32窟   2階本殿 天井には蓮の花が彫られる 

第32窟 マンゴーの木の下獅子に乗るに座る女神

繊細な透かし彫が美しい柱 ジャイナ教寺院

レリーフも直立のものや「不所有」を象徴する裸体が多い


第16窟 カイラーサナータ寺院 8cクリシュナ1世命によりカイラス山(須弥山)をイメージして彫られて シバ神を祀るヒンドゥー寺院   彫刻がよりダイナミックになっている  

第16窟

第16窟 左はスタンバ(石柱) 


第16窟  中央寺院は空中回廊で結ばれる カイラーサナータ寺院   エローラ遺跡 

ビービー・カ・マクバラー  ムガール帝国第6代皇帝妃の霊廟 17C 息子により建てられる  「貧乏人のタージ」の愛称                              アウランガーバード   1/5/2023

パンチャッキー   この地名は水車場の意味 ムガール帝国時代にでき周辺には霊廟やメドレセがある  この巨樹は樹齢600年のパニヤンツリー(ガジュマル)    木陰には人々が憩う

クトゥブ・ミーナール 1192年 後に奴隷王朝を打立てたクトゥブウデッィーン王が 北インド制圧記念に建立                     2/5/2023

壊したヒンドゥー寺院の材料で建築   モスクにはヒンドゥー様式とイスラム様式が混在する


イスラムの力をヒンドゥー教徒に誇示する意図もあった 世界で最も高いミナレット    13C   2/5/2023 

ムガール王国第2代皇帝フマユーンの廟  フマユーンは1540年シェール・ハンに北部の君主の座を奪われ イランに亡命  サファビー朝の支援で1555年アーグラとデリーを奪回し 北インドを再征服後事故死 王妃に命によりイランの建築家が設計 アクバル大帝治世時代 ムガール帝国の廟建築の原型となるが 皮肉にもムガール帝国終焉の地となる デリー                                                  2/5/2023

上層部のファサードは4面全部同じでシンメトリーです イーワンもアルコーブ内部の小アーチと外部のダミーアーチとコーディネートされている  中央部は3連アーチになって安定感が増してアクセントになっている アーチ上部の外壁にはアラベスク模様の象嵌が施されている                           デリー             2/5/2023 

建物の中央には白大理石の摸棺が置かれる

内部中央広間天井は屋根ドームと切り離した二重殻のドーム天井になっている


基壇の上の上層部 外部4方の角は面が取られ8角形のような錯覚を感じる 白いドーム屋根の周囲には小塔(チャトリー)と小さな尖塔が並びヒンドゥー的装飾も使われている 

レッドフォート (ラール・クラー)  ラホール門  17Cシャー・ハーンがアーグラから遷都し居城として築く                             デリー     2/5/2023

デワーニ・アーム  一般謁見の間

ディワーニ・カース   貴賓謁見の間 外観


ディワーニ・カース    貴賓謁見の間 ベースの白大理石にはマラカイト・コラルライト・ターコイス・アガットなどが象嵌装飾されている    レッド・フォト    デリー2/5/2023

朝霞むタージマハル              アーグラ    3/5/2023

タージ・マハル      17C ムガール第5代皇帝シャー・ジャハンが  亡くなった妃マハルのために ヤムナー川畔に白大理石の霊廟を建てる   


入口正門 内側より

 アーグラ城   ジャマー・マスジット門    皇帝アクバルが1573年完成させる  3/5/2023

赤砂岩のジャハーンギール宮殿 

柱や軒下の腕木装飾にはヒンドゥーとイスラム様式の融合が見える


ムサンマン・ブルジ

バルコニーから見るヤムナー河岸

ムサンマン・ブルジ8角形の塔


大理石に貴石の象嵌が美しい     孔雀石・珊瑚・トルコ石・瑪瑙・瑠璃などが使われる

ムサンマン・ブルジ(囚われの塔) アウラングゼーブが兄弟の後継者争いに勝つと父シャー・ジャハンをタージ・マハルの見えるこの塔に幽閉してデリーに移った   

アーチのトランサムにも象嵌装飾

窓から見るタージ・マハル


ムサンマン・ブルジ   上部に8角形の塔が見える

パンチ・マハル 五層閣 ファテープル・シークリー (勝利の都シークリの意味)    アクバル帝は息子ジャハーンギールの誕生を記念して建て アーグラから遷都 しかし水不足のためわずか14年間でラホールに遷都され廃墟となる   シークリー      

ディテイルも赤砂岩でできる

右ディーワーニ・カース

交差する梁の上に玉座があった   ディーワニ・カース


池を巡らした中庭          ファテープル・シークリー   

雨季と乾季がはっきりと分かれたインドでは水を貯める施設がたくさん造られた 一辺には水辺で涼むための宮殿が造られるている    アーバーネリー 村  3/5/2023

チャンド・バーオリ  の階段井戸

8~9Cに建造の公共井戸 


小扉の緑もアクセントカラーになっている


ハワー・マハル  (風の宮殿)       ジャイプール   4/5/2023

1779年ラージプートの王が建てる  シティ・パレスの一部 ピンク色の砂岩を外壁に用いた5階建ての建物 953の小窓が通りに面している この小窓から宮廷の女性たちが街の様子を見て楽しんだ また小窓を風が通り 暑いときでも涼をとることができた 横からみると奥行はまるでない 

アンベール城 ムガール帝国第3代君主アクイバル1世は16Cアンベール王の娘と結婚 以後ラージプート の王族(マハ・ラジャ)を次々に傘下に加える  カチュワーラー王族が16世紀建設を開始 その後アンベールの王たちにより 1727年ジャイプルへ遷都するまで増改築が続けられる  人工のマオタ湖より

太陽門は過って王族のみが通れた

太陽門へのアプローチ   右マオタ湖


ジャレブチョウク広場 左に月門 右に太陽門

ライオン門


左ライオン門から上がると2段目の広場   一般謁見の間(ディーワニ・アーム) オープンハウスになっている

ガネーシャ門のファサード   ここから先は王の私的な内殿

ガネーシャ門 入口天井・壁部 中央にヒンドゥーのガネーシャ神が描かれ周辺はモザイク・フレスコ画・透かし窓で飾られている

ガネーシャ門上部

ガネーシャ門を入って左にジャイマンデル


1階部奥はジャイ・マンディル(勝利の間) ディーワニ・カース(貴賓謁見の間)として使われた  

後方2階はジャス・マンデル


ジャイ・マンデル   壁のモザイクには無数の鏡が使われ豪華さをいっそう醸し出す

鏡の間(シーシュ・マハル)とも呼ばれる

ムガール・ラージプート折衷様式とでも言える


ジャイ・マンデルの前に広がる中庭を挟んで反対側はスク・ニワース(歓喜の間) 後方ジャイガル要塞

ジャンタル・マンタル天文台             ジャイプル

18cムガール帝国時代王がアンベールからジャイプルへ遷都したとき 天文観測施設も建設した


5/5/2023