モスクワで国内線に乗り継いで  サンクトペテルブルグに到着                    サンクトペテルブルグ   13/2/2019

歩道はどこも 凍結注意 ! 3連泊のホテル

暖房がありがたい !


寒い早朝から観光客が訪れる デカブリスト広場  (元老院広場)            皇帝制と農奴制の廃止を訴えた元老院たちが蜂起(デカブリストの乱)した場所               14/2/2019

ピョートル大帝 (ロマノフ朝1725年没) 像           デカブリスト広場       サンクトペテルブルグ 14/2/2019

黄色の外観が美しい裁判所

エカテリーナ2世が乗馬をしたところ


聖イサク大聖堂 1858年建立 ピョートル大帝の守護聖人ダルマチアの聖イサクに由来する   

宮殿広場  中央は  ナポレオン戦争  勝利記念    アレクサンドルの円柱 ( 1834年完成 ) 

後方  旧ロシア帝国軍参謀本部ビル   現在は一部をエルミタージュ美術館新館として公開している

エルミタージュ美術館     ルーブル ・ メトロポリタン と並ぶ世界3大美術館の一つ 約300万点を収蔵するという   300年続いたロマノフ王朝 エリザベータ女帝の1754年に ラストネッリの設計で  「冬の宮殿」の建設が始まるが   エカテリーナ2世即位の1762年に完成  その後エカテリーナ2世により「小、旧エルミタージュ」が建設され  宮殿の建築複合体「エルミタージュ」が誕生した   1852年ニコライ1世により「新エルミタージュ」が完成 

エルミタージュ美術館入口

オリンポスの天井画(ティチアーノ作)がはめ込まれている

グレーグラニットのコラムが引立つ

正面の階段上がり口   突き当りの壁には「正義」の女性彫像

豪華さで圧倒されるアトリウム は5つの踊り場で繋がる


「ヨルダンの階段」or「大使の階段」  ロシア・バロック建築の極致   イタリア人ラストレッリ設計

紋章の間

アンナヨアノヴナの玉座  1731年 ロンドン   背もたれには銀糸で双頭の鷲の刺繍    ピョートル大帝の間

ナポレオン戦争時に 功績のあった300人の肖像画                  「1812年祖国戦争」の間

玉座のあるゲオルギーの間  謁見に使われた ネオクラシック様式 上下二段の窓から採光され  壁はカラーラから輸入された白い大理石で装飾されている  火災後1841年完成

金箔モールの天井装飾

16種類の木を使い天井と同じ模様のモザイク床

ゲオルギーの間の玉座

 


ステンドグラスの入った窓

仕掛け時計「バヴリン(孔雀座)」Pavo    18C 後半   イギリス     コクス作      パビリオンの間    pavilion

 エカテリーナ2世が  愛人ポチョムキン将軍に贈ったもの   普段は動かしていない


洗礼者と天使に従われた聖母子 1400~1450年 板絵 テンペラ   アントニオ・ダ・フィレンチェ

ベヌアの聖母(花を持つ聖母)1478年 レオナルド・ダ・ヴィンチ       随分聖母が若く感じる

リッタの聖母 1480年代初頭    2年足らずでの「ベヌアの聖母」との作風の違いは と自分なりに考えてみますと    お決まりのアトリビュート的ヘイローがなくり  窓には空気遠近法の景色が描き込まれている  聖母のマントは定番の青と赤だが  顔はより女性的で美人になり  イエスは直接母乳をもらい目を開けている さらに人間性と写実性を求めた結果でしょうか  レオナルド・ダ・ヴィンチ

ダナエ   1546~1553年    ティチアーノ ダナエ関連作5点の1つ    当時は大変官能的な作品         師のジョルジョーネをまねて「ウルヴィーノのヴィーナス 」を1538年に製作したが  今度は神話の中に裸体を描いて宗教的批判をかわしたのではと思う レンブラントや後世の画家にも影響を与えたが ティチアーノはヴァチカンの庭に工房を構えていたとき  ミケランジョロ と接触があったみたいで  ヴァザーリの著述ではミケランジェロは彼の色使いを称賛したが  デッサン力・構成力には疑問を持った という話が残る   (ラファエロ1520年没)  1546年ローマからミケランジェロ以来の「市の鍵賞」を受けている

ラファエロ回廊 新エルミタージュ                  

コネスタビレの聖母 メダイオン 1502年~1504年 ラファエロ          ラファエロが  ダヴィンチの「モナリザ」(ジョコンダ夫人肖像画)を1504年に模写した スケッチ が残されている 製作時期が非常に近いので何らかの影響がでていると思います                                                                                                      

聖家族 1506年 不安顔のヨゼフが印象的             ラファエロ

エルベ川右岸からのドレスデン        1740年~1750年                          ベルナルド・ベロット  (カナレットの甥)

西洋絵画は本来  神話や宗教にテーマを置いた教会のフレスコ画から始まったが  フランドルで油彩画が発明され キャンバスに描かれる絵が出るようになると  絵にポータビィティーの商品価値が加わり  宗教改革の風もあいまって 風景も新ジャンルとして認められるようになった

ベロットの叔父カナレットはこのジャンルの先駆者的存在で  またベロットの師でもあった  

写真のない時代ですから これも当時流行った集団肖像画の新ジャンル

アントニア・サラテの肖像 1811年頃                 フランシスコ・ゴヤ

使徒ペテロとパウロ   1587~1592年 性格の対比を見るのが面白い トレドで活躍     エル・グレコ

ダナエ     1636年    レンブラント  1985年この絵は硫酸をかけられ2か所にナイフの傷を受けた

12年をかけた修復の後再び姿を現している

女神フローラに変装した妻サスキアの肖像 1634年

自画像            レンブラント


放蕩息子の帰還 1660年代末 「父の許しと愛」を諭す     レンブラント

レンブラントの間  

レモネードグラス    1620年代           テルボルフ

                                                ルーベンス


ペルセウスとアンドロメダ   1620年代~1630年代初頭 ルーベンス                 

     ダイナミックな肉感溢れる絵   アントワープで修業の後 10年間のイタリア遊学     スペインとイギリスから爵位を受けた外交官でもあった     アントワープで大きな工房を営んだ 作品多数

  余りに多くの巨匠の大作に圧倒され  感覚が麻痺をし やがてみんな普通の画に感じる  

エリザベータ女帝肖像画  1758年

ニコライ2世肖像画  通路の展示


地球上の3大陸を表現したタペストリー  「アジア」    1839年        小(白い)食堂 エルミタージュ美術館

黄金の客間  自身も認める「石細工への病的な執着」を持っていた  エカテリーナ2世のコレクション

聖ゲオルギウス像

                                            ドガ

 

モンマルトルの並木道          カミーユ・ピサロ


女優ジャンヌ・サマリの肖像 1878年         ルノアール

黒衣の婦人        ルノアール

沐浴           セザンヌ


  目は点でいいんですね                                                                                                                    モネ

    サント・ヴィクトワール山                                                                                                                     ゼザンヌ

                                                              ゴーギャン

                                                             ゴーギャン


                                                             ゴッホ

あばら屋      1890年     ゴッホ


アブサンが好きな女 1901年                       ピカソ

ピカソ

ピカソ


赤い部屋                     マチス

ダンス                                                    マチス


夕食のレストラン  腹ごしらえをして いざ ミハイロフスキー劇場へ

ミハイロフスキー劇場


ミハイロフスキー劇場 1833年創建 オペラ・バレエ劇場 演目「海賊」                          14/2/2019

開演前のオーケストラ・ピット

みんな準備に余念がない


カーテンコールに応える出演者達             サンクトペテルブルグ   14/2/2019  

次回があれば  マリインスキー劇場・・・

舞台がはねた劇場の前  玄関は地味です


エカテリーナ宮殿   ピョートル大帝が 妃エカテリーナ1世に与えた夏の離宮がはじまり エカテリーナ1世が亡くなり  1742年即位したエリザベータは改築をラストネッリらに依頼  「 黄金のアンフィラーダ」(一連の部屋のドアを一直線上に配置する構造デザイン)と総称される バロック建築の名作を  1756年に完成させた    サンクトペテルブルグ郊外/2/2019

エカテリーナ宮殿     鮮やかな水色と白の配色に金色のレリーフや彫刻が輝くバロック様式の外観

外壁の窓飾りには天を支えるアトラスが  コラムの柱頭飾りはアーカンサス がデザインされている

(有田で焼かれた)古伊万里の壁飾り

正面階段


大広間           トランサムのある2段のパティオ窓   窓間の柱壁には鏡が張られ  さらに広く明るく感じさせる       フロアーは木製のモザイク がエンドレスのパターンで敷き詰めらて  心地よい歩行感だ

       因みに 幕末日本の漂流民  伊勢の白子の大黒屋光太夫は  イルクーツクからつてをたどり この大広間で エカテリーナ2世に拝謁を願い 帰国の許可を嘆願した   

天井画「ロシアの勝利」ヴェネチアの画家  ヴァレリアーニ      1756年 七年戦争(プロイセンとオーストリアの対立を軸に起こる) ガテーマ           大広間

18Cの宮殿コスチュームで 記念撮影はいかが

広い中庭が見える   

イーゼルには料金表


第1控えの間   この裏側は第2控えの間  ペチカは間仕切り壁に設置

アンフィラーダになっている通路 (部分)

第2控えの間       食卓が展示される

第3控えの間


騎士の食堂の間   オランダ製の陶器のペチカがあります

エカテリーナ1世の肖像画 726年 肖像画の間

エカテリーナ2世の肖像画


エリザベータ女帝 の肖像画      エリザベータはピョートル大帝とエカテリーナ1世の娘       1742年エリザベータが即位したときに  この宮殿のバロック様式への改築を命じた   肖像画の間

絵画の間 ペチカを挟みびっしりと南北両側の壁を絵画で張詰める シュパレルノイ式の展示

アレクサンドル1世の間  アレクサンドル1世はエカテリーナ2世の孫 ナポレオン のロシア侵攻を撃退した

小学生たちも先生に連れられて勉強にやってきます  

みんな扇を持って  いったい何のレッスンなのでしょうか

白の食堂     壁にかかる鳥・動物の絵は  17Cのバロック期にオランダで最盛期にあった狩猟画のジャンルの絵です 動物の羽毛・体毛・目・死後硬直の表現描写などを競い合った     

赤柱の間

緑の食堂

宮殿横の露店の土産物屋さん

宮殿近くの民家をリフォームしたレストラン


ウラルの山から運んだ赤御影石のコラムは エジプトの大オベリスクにも匹敵するほどの重量    1本114トン が48本 イサク大聖堂 1858年建立

どの建築もキューポラ部分には技術の粋が集まっている

クレーンのない時代  当時の建設重機は足場も含めてほとんどが木製   15Cフィレンチェの二重ドーム・建機もブルネレスキ-が自ら設計している


ロシア・ビザンチン様式を基本に 平面プランはギリシャ十字形     高さは102m  

フランスの宮廷建築家オーギュスト・ド・モンフェランの設計  中央の主ドームに4つの小ドームを配置 

ペテロのモザイク画のパネル

イサク大聖堂       サンクトペテルブルグ

扉の彫刻はフィレンチェのサンジョヴァンニによる

サンジョヴァンニ洗礼堂を思いうかべますね


東の主祭壇にキリストの復活を描いたステンドグラスが嵌められているのはめずらしい 両側のフルーテッドコラムにはラピスラズリや孔雀石が惜しげもなく使われている     イサク大聖堂  

サンクトペテルブルグ の民芸品店  日本円・米ドル・ユーロ・CDカードが使える

ロストラの灯台柱  1810年  灯台もアート   設計トモン

ペトロパヴロフスカ要塞   (車窓より)


トロイツキー橋  と ネヴァ川     ( 車窓より) この橋は開閉式 設計はパリのエッフェル塔のエッフェル

血の上の救世主教会 (ハリストス復活大聖堂)   1881年

アレクサンドル2世が革命家により暗殺された場所に

アレクサンドル3世が弔いのため建設を始め 1907年完成

グリボエードフ運河側にある入口

(内部)暗殺された場所にあるアレクサンドル2世の霊廟        血の上の救世主教会      サンクトペテルブルグ


アレクサンドル2世の慰霊のためのロマノフ家の施設であったという理由で  1970年この教会の管理は聖イサク大聖堂に移り   ソ連崩壊後もロシア正教会の聖堂としては完全に復活はしていない 

二次大戦中は野菜倉庫として使われていた  修復後 1997年より一般公開されている


グリドエードフ運河

ストリートパフォーマー    指が寒そう

9つの玉ねぎ型のドームが林立する屋根


血の上の救世主教会     ロシア教会の屋根はネギ坊主の形をしているが  意匠的には教会で灯されるロウソクの炎のイメージで 祈りが天の神に伝わるようにという意味があるそうです

  また機能的には冬の積雪を防ぐ形状になっている        ネギ坊主の大きいのは「クーポル」小さいのは「ルーコヴィツァ」と呼ばれる ネギ坊主の数により意味が変わる 2個 神と人間 3個 父と子と聖霊 5個 中央がキリスト  とマルコ・マタイ・ルカ・ヨハネ  7個 ロシア正教の7つの神の恩寵 9個 天使の階級の数 13個 キリスト と12使徒  因みにこの教会は9個です  サンクトペテルブルグ

昼食のレストラン   兜までネギ坊主    愛そうのいい呼び込みだが 味はいまいち   モスクワ 16/2/2019


聖ワシリー寺院 1480年のモンゴルへの戦勝を記念して  イワン雷帝により 1560年建てられた イワン雷帝は寺院の美しさに惚れ込み  二度とこのような建物ができぬように  設計者ボストニクと バルマの目をくりぬかせたといわれている     赤の広場 モスクワ   16/2/2019

広場はまだクリスマスの飾りつけが続く 今日は土曜日  人出も多い  赤の広場 16/2/2019 

レーニン廟 後方はクレムリン宮殿の城壁

レーニン廟の衛兵 1924年レーニン没後  遺体は1930年よりここに冷凍安置されている


国立歴史博物館 1883年開館 「赤」は社会主義をイメージさせるが  スラブ語では「美しい」という意味 広場の起源は15Cに露店が並び始めたことから  赤の広場

モスクワっ子 もゲームに興じる  ウィンターウェアもきまっている!

メリーゴーラウンドがあり まるでチボリの遊園地

赤の広場につづく電飾された通り


まるでこのアーケードは春祭りの飾り付けだ  チャイニーズ熱烈歓迎! グム百貨店の中    16/2/2019

ここも 中国からの観光客が多く 春節の飾付けの余韻が残る 

おしゃれなレストランや フードコートも多い

ブランドショップも多い    グム百貨店アーケード

3階建 アーケード部分はアトリウムにしている


赤の広場 正面  聖ワシリー寺院    右  クレムリン宮殿 左  グム百貨店        モスクワ   16/2/2019  


ミニステージの大きな音楽と民族舞踊に子供たちが集まる

夕日に染まるクレムリン          16/2/2019

「クレムリン」とは城塞の意味

モスクワ川とモスクワ大学


クレムリン宮殿内の観光 寒い中早朝から開場を待つ  左  クタフィアの塔 モスクア    17 /2/2019

大統領官邸  本日はプーチン大統領は御在邸でしょうか?

大砲の皇帝 1586年当時は世界最大の口径であった  重さ40トン   今考えると 実用の武器というよりも  むしろ芸術品の感じさえする    15Cのウルバヌスの大砲と比較してみたい

後方右は パトリアーシェ宮殿    左は ウスペンスキー大聖堂

兵器庫

後方左から クレムリン大会宮殿  トロイツカヤ塔   

兵器庫


右 アルハンゲルスキー聖堂 1508年建立

軍の守護聖人 アルハンゲル・ミハイルを祀る

1735年鋳造の世界最大の鐘      重さ200トン       鋳造中の事故のため未完成


ウスペンスキー大聖堂 1479年に再建 ロシア帝国の国教大聖堂でもあった 

ウスペンスキー大聖堂   西門 中は撮影禁止

ブラゴヴェシチェンスキー聖堂  1489年  イワン大帝の専用礼拝堂

ボロヴィッカヤ塔   右  大クレムリン宮殿

武器庫・ダイアモンド庫の入り口 撮影禁止


大クレムリン宮殿        中は立入禁止 

大クレムリン宮殿  前庭

クレムリン内側から見る モスクワ川    今日は快晴で  クレムリンからの眺めも最高!

ここからスバスカヤ門を通り  クレムリンを後にする 写真が撮れなかった所もあるが クレムリンにこんな素晴らしい歴史文化遺産があるとは想像していなかった    17/2/2019