エルミタージュ美術館 ルーブル ・ メトロポリタン と並ぶ世界3大美術館の一つ 約300万点を収蔵するという 300年続いたロマノフ王朝 エリザベータ女帝の1754年に ラストネッリの設計で 「冬の宮殿」の建設が始まるが エカテリーナ2世即位の1762年に完成 その後エカテリーナ2世により「小、旧エルミタージュ」が建設され 宮殿の建築複合体「エルミタージュ」が誕生した 1852年ニコライ1世により「新エルミタージュ」が完成
ステンドグラスの入った窓
リッタの聖母 1480年代初頭 2年足らずでの「ベヌアの聖母」との作風の違いは と自分なりに考えてみますと お決まりのアトリビュート的ヘイローがなくり 窓には空気遠近法の景色が描き込まれている 聖母のマントは定番の青と赤だが 顔はより女性的で美人になり イエスは直接母乳をもらい目を開けている さらに人間性と写実性を求めた結果でしょうか レオナルド・ダ・ヴィンチ
ダナエ 1546~1553年 ティチアーノ ダナエ関連作5点の1つ 当時は大変官能的な作品 師のジョルジョーネをまねて「ウルヴィーノのヴィーナス 」を1538年に製作したが 今度は神話の中に裸体を描いて宗教的批判をかわしたのではと思う レンブラントや後世の画家にも影響を与えたが ティチアーノはヴァチカンの庭に工房を構えていたとき ミケランジョロ と接触があったみたいで ヴァザーリの著述ではミケランジェロは彼の色使いを称賛したが デッサン力・構成力には疑問を持った という話が残る (ラファエロ1520年没) 1546年ローマからミケランジェロ以来の「市の鍵賞」を受けている
コネスタビレの聖母 メダイオン 1502年~1504年 ラファエロ ラファエロが ダヴィンチの「モナリザ」(ジョコンダ夫人肖像画)を1504年に模写した スケッチ が残されている 製作時期が非常に近いので何らかの影響がでていると思います
エルベ川右岸からのドレスデン 1740年~1750年 ベルナルド・ベロット (カナレットの甥)
西洋絵画は本来 神話や宗教にテーマを置いた教会のフレスコ画から始まったが フランドルで油彩画が発明され キャンバスに描かれる絵が出るようになると 絵にポータビィティーの商品価値が加わり 宗教改革の風もあいまって 風景も新ジャンルとして認められるようになった
ベロットの叔父カナレットはこのジャンルの先駆者的存在で またベロットの師でもあった
写真のない時代ですから これも当時流行った集団肖像画の新ジャンル
ペルセウスとアンドロメダ 1620年代~1630年代初頭 ルーベンス
ダイナミックな肉感溢れる絵 アントワープで修業の後 10年間のイタリア遊学 スペインとイギリスから爵位を受けた外交官でもあった アントワープで大きな工房を営んだ 作品多数
余りに多くの巨匠の大作に圧倒され 感覚が麻痺をし やがてみんな普通の画に感じる
夕食のレストラン 腹ごしらえをして いざ ミハイロフスキー劇場へ
ミハイロフスキー劇場
ミハイロフスキー劇場 1833年創建 オペラ・バレエ劇場 演目「海賊」 14/2/2019
開演前のオーケストラ・ピット
みんな準備に余念がない
エカテリーナ宮殿 ピョートル大帝が 妃エカテリーナ1世に与えた夏の離宮がはじまり エカテリーナ1世が亡くなり 1742年即位したエリザベータは改築をラストネッリらに依頼 「 黄金のアンフィラーダ」(一連の部屋のドアを一直線上に配置する構造デザイン)と総称される バロック建築の名作を 1756年に完成させた サンクトペテルブルグ郊外/2/2019
エカテリーナ宮殿 鮮やかな水色と白の配色に金色のレリーフや彫刻が輝くバロック様式の外観
外壁の窓飾りには天を支えるアトラスが コラムの柱頭飾りはアーカンサス がデザインされている
大広間 トランサムのある2段のパティオ窓 窓間の柱壁には鏡が張られ さらに広く明るく感じさせる フロアーは木製のモザイク がエンドレスのパターンで敷き詰めらて 心地よい歩行感だ
因みに 幕末日本の漂流民 伊勢の白子の大黒屋光太夫は イルクーツクからつてをたどり この大広間で エカテリーナ2世に拝謁を願い 帰国の許可を嘆願した
第1控えの間 この裏側は第2控えの間 ペチカは間仕切り壁に設置
騎士の食堂の間 オランダ製の陶器のペチカがあります
アレクサンドル1世の間 アレクサンドル1世はエカテリーナ2世の孫 ナポレオン のロシア侵攻を撃退した
赤柱の間
アレクサンドル2世の慰霊のためのロマノフ家の施設であったという理由で 1970年この教会の管理は聖イサク大聖堂に移り ソ連崩壊後もロシア正教会の聖堂としては完全に復活はしていない
二次大戦中は野菜倉庫として使われていた 修復後 1997年より一般公開されている
血の上の救世主教会 ロシア教会の屋根はネギ坊主の形をしているが 意匠的には教会で灯されるロウソクの炎のイメージで 祈りが天の神に伝わるようにという意味があるそうです
また機能的には冬の積雪を防ぐ形状になっている ネギ坊主の大きいのは「クーポル」小さいのは「ルーコヴィツァ」と呼ばれる ネギ坊主の数により意味が変わる 2個 神と人間 3個 父と子と聖霊 5個 中央がキリスト とマルコ・マタイ・ルカ・ヨハネ 7個 ロシア正教の7つの神の恩寵 9個 天使の階級の数 13個 キリスト と12使徒 因みにこの教会は9個です サンクトペテルブルグ
聖ワシリー寺院 1480年のモンゴルへの戦勝を記念して イワン雷帝により 1560年建てられた イワン雷帝は寺院の美しさに惚れ込み 二度とこのような建物ができぬように 設計者ボストニクと バルマの目をくりぬかせたといわれている 赤の広場 モスクワ 16/2/2019
まるでこのアーケードは春祭りの飾り付けだ チャイニーズ熱烈歓迎! グム百貨店の中 16/2/2019
ミニステージの大きな音楽と民族舞踊に子供たちが集まる
大統領官邸 本日はプーチン大統領は御在邸でしょうか?
大砲の皇帝 1586年当時は世界最大の口径であった 重さ40トン 今考えると 実用の武器というよりも むしろ芸術品の感じさえする 15Cのウルバヌスの大砲と比較してみたい
後方右は パトリアーシェ宮殿 左は ウスペンスキー大聖堂
兵器庫
後方左から クレムリン大会宮殿 トロイツカヤ塔
兵器庫
右 アルハンゲルスキー聖堂 1508年建立
軍の守護聖人 アルハンゲル・ミハイルを祀る
1735年鋳造の世界最大の鐘 重さ200トン 鋳造中の事故のため未完成
ウスペンスキー大聖堂 1479年に再建 ロシア帝国の国教大聖堂でもあった
ウスペンスキー大聖堂 西門 中は撮影禁止
ブラゴヴェシチェンスキー聖堂 1489年 イワン大帝の専用礼拝堂
ボロヴィッカヤ塔 右 大クレムリン宮殿
武器庫・ダイアモンド庫の入り口 撮影禁止
大クレムリン宮殿 中は立入禁止
大クレムリン宮殿 前庭
クレムリン内側から見る モスクワ川 今日は快晴で クレムリンからの眺めも最高!
ここからスバスカヤ門を通り クレムリンを後にする 写真が撮れなかった所もあるが クレムリンにこんな素晴らしい歴史文化遺産があるとは想像していなかった 17/2/2019