アジスアベバからリフトヴァレー沿いにケニアを南下して ナクル湖を右に見るあたりで コースを少し南東のダルエスサラーム方向に変えると 国境付近のタンザニア側ニ メルー山とキリマンジャロ山が見えてくる
アジスアベバ/ ダルエスサラーム間 14/7/2018
かなりの著名人の出迎えのようです 地元の人々の表情や女性の服装もよくわかりますね コモロはアラビア語の「カマル(月)」が訛ったもの ほとんどがイスラム教スンニ派 モロニ インターナショナルエアポート グランド コモロ島 コモロ連合 14/7/2018
モロニの旧市街(メジナ) 古い家屋の壁は溶岩石のブロックを サンゴの粉を混ぜたセメントでつなぎ
サンゴの粉入りの漆喰を塗って仕上げる ここはもともとイッアンドラのスルタン支配下の貴族が住んでいたエリア 木彫りの扉はザンジバル様式(時代によりアラブやインドの影響)
ズームするとアウトリガーで手釣りをしているのがわかる
スルタンパレス 16C創建 グランドコモロ258万二人の有力スルタンの14C人バンバオのスルタンが都にしていたのがここイコニで 14C頃から 南部のスルタン達を支配下において もう1人の北のイツァンドラのスルタンと対抗していた このパレスはバンバオの5世スルタン住んだ イツァンドラのスルタンはザンジバルとイギリスの支援を受けていたので バンバオはポルトガル に支援を求めるが断られ フランスの支援を受けることになった 1886年にフランス が全島を併合 廃位された後に復権した最後のスルタン サイード・アリの息子サイード・イブラヒムの墓があります イコニ グランドコモロ 16/7/2018
国立博物館 モロニ コモロ連合
【歴史】
10C アラブ人やペルシャ人が移住
1505年ポルトガル人が上陸
17C 複数のイスラム系の小国家が興る
19C フランスが全島を保護領とする
1975年 フランスより「コモロ国」として独立
1978年 「コモロ・イスラム連邦共和国」
2001年 「コモロ連合」
博物館内
16~17C イスラム系小国家のスルタン達は 自らの土地を耕作させるため奴隷貿易(アフリカより)を始め またモーリシャスやレユニオンで始まったプランテーションへの奴隷を輸出した 中継交易で繁栄するが1869年スエズ運河が完成すると航路が変更され衰退していく
アイドリアンツリー マダガスから亡命して島を乗っ取り 1841年マヨット島をフランスに売り飛ばしアル中でなくなる
サイード・アリ 1916没 フランスに廃位させられたが 復権した コモロ最後のスルタン
モロニ国際空港 モロニ グランドコモロ島 コモロ連合 16/7/2018
サトウキビはこの国の輸出作物の約半分を占める 1640年フランスがこの島を占拠
1719年フランスインド会社により最初はコーヒー栽培 そしてサトウキビ栽培による製糖が重要産業となる
N3号線をサンブノアから南西方向にバスでヘアピンカオブの山道をくねくねと登って行く
サンブノアの街と東海岸 東海岸は雨量が多く オーストラリア西部で発生するサイクロンの通過するルートにある 植生はマダガスカルからの風に乗って種が運ばれ固有種以外はマダガスカルと一致する 因みに24時間当たりの降雨量の世界記録1800mmはこの島で観測されました
レストランのミニ公園
クレオール料理の昼食レストラン
この湖で折り返す Grand Estung この島にはヘゴが所々で群生する シダ類ヘゴ科
サンドニ市内には植民地時代のクレオール様式の建築があちこちに残されている
アプラバシガートの復元ジオラマ
シグナル山(500m)とポートルイスのダウンタウン ポートルイスはフランス人により建設され ルイ15世に因んで命名された 市民の多くは19Cにインドから来た移民の子孫である モーリシャス 18/7/2018
アネリア リゾート ホテル モーリシャス 18/7/2018
ホテルの庭にいた鳥 頭の形はカーディナルとおもいますが 枝もたわわの実は今が食べごろ
白い波がなかったらもう少し滝らしくみえたのでは・・・・・・ ル・モーン・ブラバン 半島
【歴史】モーリシャス南西部の半島にある標高556mのル・モーン山 18~19Cに逃亡奴隷(マルーン)が隠れていた場所で 彼らが洞窟などに残した 文化的遺産は「奴隷の自由との闘いの象徴」として価値がある モーリシャスで奴隷廃止が決定され 警官がル・モーンに「自由になった呼掛け」に行ったが 奴隷たちは捕らえにきたと誤解して 崖から飛び降りたという悲劇がある
シャマレルの滝
シャマレル 7色の大地 雨天のせいで7色の彩度は最悪 モーリシャス 19/7/2018
セイシェル国際空港 到着 マヘ島 セイシェル 19/7/2018
アバニ・セイシェル・バーボン リゾートホテル マヘ島 セイシェル共和国 英連邦加盟国 19/7/2018
1742年フランス が探検隊を送り込み 当時の首相の名前からセイシェルと名付けられた 1756年フランスが領有を主張するも 1794年イギリスが占有 1815年仏が英に領有権を譲渡 1976年独立
カタマランの高速艇でプララン島へ 20/7/2018
マヘ島の港を出港 約1時間のクルージング
プララン島 の港
ヴァレドメ国立公園(ヴァレ・ド・メ・自然保護区)内の見学コース セイシェル共和国のシンボルともいえるココデメールはプララン島とキュリーズ島にしか生育しない固有種 樹高約30m 世界最大の種子をつける木 ココデメールは雌雄異株で 雄株の花から飛んでくる花粉(精子)を雌株の花が受粉し 7年目に成熟して自然に地面に落下する そのとき中から固い種(2つ~3つ)が出てくる その形が女性の腰部によく似ている 1つで20kgもあるという この種が適度の湿り気があると地下茎を伸ばし5・6mの地中から地上に芽を出し 15年~20年かけて花(実)をつけて 再び受粉するサイクルを繰り返す 受粉は風やゲッコウ(ヤモリ)やアブなどで媒介される ヴァレドメには約4000本のココデメールがあるがその8割が雌株です 雄株も成長過程は同じで花(形は男性器によく似ている)をつけ花粉を作るまで25年位かかる
19Cここを訪れた英国のチャールズ・ゴードン将軍はココデメールこそ「アダムとイブ」だ この島こそ「エデンの園」だとか言ったそうです
ココデメールの種は世界最大 右下は花粉
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種子が発芽するまでには22~3年を要し
毎年1枝ずつ葉をだす これは発芽して6年
樹皮の縞模様は枝の落ちた跡
これで樹齢もわかる
ヤシの枝葉も 実と同じように 突如上から「ドサッ」と落ちてくる 頭上注意!
Green Day Gecko (ヤモリ)
Snail (カタツムリ) ヤシの葉裏にはトゲがある
果実が重いため 幹に直接果実がなる ジャックフルーツの木
黒真珠の養殖とショップ
プララン島やセイシェルの海岸には大きな花崗岩がゴロゴロしている 中生代にセイシェル諸島はマダガスカルやインド亜大陸と共に アフリカ大陸のソマリアから分離したため 島の主岩は大陸と同じ花崗岩 一方インド亜大陸の分離を起こしたプレートテクトニクスは海底から火山岩を噴出して 南東方向の玄武岩質のモーリシャス島やレユニオン島を形成した プララン島 20/7/2018
ヒンドゥーの寺院 セイシェルは約9割の人がカトリック教徒である ヴィクトリア セイシェル共和国の首都