アジスアベバからリフトヴァレー沿いにケニアを南下して ナクル湖を右に見るあたりで コースを少し南東のダルエスサラーム方向に変えると 国境付近のタンザニア側ニ  メルー山とキリマンジャロ山が見えてくる

                  アジスアベバ/ ダルエスサラーム間    14/7/2018

大変な歓迎ですが 我々にではありません


 かなりの著名人の出迎えのようです 地元の人々の表情や女性の服装もよくわかりますね コモロはアラビア語の「カマル(月)」が訛ったもの ほとんどがイスラム教スンニ派                                         モロニ  インターナショナルエアポート    グランド コモロ島    コモロ連合  14/7/2018

 モロニの旧市街(メジナ) 古い家屋の壁は溶岩石のブロックを サンゴの粉を混ぜたセメントでつなぎ

サンゴの粉入りの漆喰を塗って仕上げる ここはもともとイッアンドラのスルタン支配下の貴族が住んでいたエリア 木彫りの扉はザンジバル様式(時代によりアラブやインドの影響)

 今では職人や一般庶民が住み着いている  この方は彫金師です

閑散とした夕方のメジナの路地 

住人も減っているのかもしれません

地元の女性は樹皮からとった日焼け止めを常用する 手に持っているのは固形


モスク前の広場は  明日(日曜)の結婚式の準備がすっかりできている

 

モスクの前の小さな港 干満差が大きく干潮時はほとんど港の潮が引いてしまう


   モロニのシンボル  金曜モスク       1427年建立 ミナレットは1921年に追加された   14/7/2018

リタジ モロニ ホテル

ホテルのロビーにも金曜モスクの絵が飾られる


  海ガ見えるホテルのガーデン                                                                          15/7/2018

 ヤシの木の間に漁師の小船が見える                      

 ズームするとアウトリガーで手釣りをしているのがわかる

 ボロボロマーケットの見学 名前のイメージは悪いが この島では一番のマーケット    島内人口32万人

   グランドコモロ島はカルタラ山の活動によってできた島で コモロ連合を形成する モヘリ島、アンジェラ島、フランス領のマヨット島を含め火山島です    写真は噴火口の跡

 噴煙をあげている火口 

白いサンゴの砂でできたコモニ・ビーチ

溶岩が流れたなだらかな海岸線


偶然出くわした婚礼の会場 すごい音響のなか 女性たちが老いも若きも乱舞して

結婚式を祝っていた                   グランドコモロ 14/7/2018 

 ムスリムの女性といえどもこの日ばかりは解放的にみえます  

 カラフルな衣装が女性を爆発しているようです       この島は女系相続制で 両親は長女の結婚に備えて資金をためて 家を建てるそうです 

コモロにもいるキツネザルの仲間

ずいぶん素朴なシイラカンスの剝製展示


 龍の岩  岩の並びが竜の背骨に見えるようです

 龍の岩の尾根からの眺め 

背骨の岩の間からの眺め

塩湖 伝説の残るカルデラ湖


 立派なバオバブ     中が空洞になっていて15人はゆうに入れそう

こんなきれいな海なら毎日泳ぎたい


「預言者の洞窟」のあった溶岩の磯  6世紀に預言者ムハンマドの命を受けた人たちが上陸した場所と信じられている     

奇跡のモスク    10C頃に一夜でできたモスクだったので奇跡のモスクと呼ばれる

フルーツ バット   Flying fox  昼日中でも直射日光の当たる木で休むから不思議


溶岩石の海岸にしっかりと根を下ろしたマングローブ林

 ホテルから見た日没             リタジモロニ ホテル  15/7/2018   

  ケンタウルス座と南十字座 ひときわ明るい一等星のケンタウルスの前足にあたるα星ギル・ケンタウルス(左)とβ星ハダル(右)    この延長上に十字架の上のあたるγ星がある ホテルの庭で撮影 

奴隷の崖    1805年のマダガスカルからの海賊の攻撃で イコニの男たちは殺され 女たちは奴隷になるよりはと この崖から飛び降りた       

 スルタンパレス  16C創建   グランドコモロ258万二人の有力スルタンの14C人バンバオのスルタンが都にしていたのがここイコニで 14C頃から 南部のスルタン達を支配下において もう1人の北のイツァンドラのスルタンと対抗していた このパレスはバンバオの5世スルタン住んだ イツァンドラのスルタンはザンジバルとイギリスの支援を受けていたので  バンバオはポルトガル  に支援を求めるが断られ フランスの支援を受けることになった 1886年にフランス が全島を併合 廃位された後に復権した最後のスルタン サイード・アリの息子サイード・イブラヒムの墓があります  イコニ    グランドコモロ     16/7/2018

イコニの新金曜モスク   手前に1978年の蜂起で政府軍に殺された人々の慰霊碑も建つ

サイード・イブラヒムの墓

彼の名は空港名にもつけられている


 マラブー湖    まだアニミズム的な習慣も残っており ここは捧げものをする聖池だそうです

イランイランの蒸留所  精油や香料を抽出         シンガニ   16/7/2018

      

イランイランの「産直品」

イランイランはインドネシアから輸入され「花の中の花」という意味がある 樹高は平均12m 花の収穫のため2mになると剪定をする


  1977年のカルタラ山の爆発で溶岩がこの村を飲み込み 海岸まで溶岩が達した場所

シンガニ      16/7/2018

 国立博物館     モロニ   コモロ連合

【歴史】

10C アラブ人やペルシャ人が移住

1505年ポルトガル人が上陸

17C 複数のイスラム系の小国家が興る

19C  フランスが全島を保護領とする

1975年 フランスより「コモロ国」として独立

1978年 「コモロ・イスラム連邦共和国」 

2001年  「コモロ連合」

博物館内

 16~17C イスラム系小国家のスルタン達は 自らの土地を耕作させるため奴隷貿易(アフリカより)を始め またモーリシャスやレユニオンで始まったプランテーションへの奴隷を輸出した 中継交易で繁栄するが1869年スエズ運河が完成すると航路が変更され衰退していく


アイドリアンツリー        マダガスから亡命して島を乗っ取り 1841年マヨット島をフランスに売り飛ばしアル中でなくなる

サイード・アリ  1916没    フランスに廃位させられたが 復権した コモロ最後のスルタン


生きた化石 シイラカンス  (ギリシャ語で脊柱の意味) このヒレには大きな骨と間接があり、また背骨がないことも特徴 背骨の代わりにホース状に管が頭から尾びれまでつながっている 現地名ゴンベッサ(食えない魚) 今は大変標本価値のある魚

3億5千万年前の変わらぬ姿で魚類から両生類へ変化する過程のままの姿を継続していると言われる


モロニ国際空港          モロニ グランドコモロ島  コモロ連合  16/7/2018 


 ベル・ピエール ホテル         サンドニ   レユニオン   17/7/2018

ロビーのテラスからの眺め


サトウキビはこの国の輸出作物の約半分を占める  1640年フランスがこの島を占拠

1719年フランスインド会社により最初はコーヒー栽培 そしてサトウキビ栽培による製糖が重要産業となる

N3号線をサンブノアから南西方向にバスでヘアピンカオブの山道をくねくねと登って行く


  ヨーロッパ風の古い木造建築(1940年)を利用したN3号線沿いのインフォメーションセンター  ショップもある 

 サンブノアの街と東海岸      東海岸は雨量が多く オーストラリア西部で発生するサイクロンの通過するルートにある 植生はマダガスカルからの風に乗って種が運ばれ固有種以外はマダガスカルと一致する 因みに1時間当たりの降雨量の世界記録1800mmはこの島で観測されました

島の最高峰ピトン・デ・ネージュ 3071m

手前に固有種のヘゴ  (シダ類  ファンジャン)

シンプルな花姿のカラー     球根植物  南アフリカ原産


山裾から見る最高峰 ピトン・デ・ネージュ  (雪の峰の意味)     最後の噴火は1200年前と言われる

 献花されている聖人の像

 雨で視界は最悪 今回 フルネーズ山(2621m)は火山活動の活発化で行けず

 ピトン・ド・ラ・フルネーズの展望台ベルコンブまでなんとかたどり着きました

火口跡

帰り道 谷あいにでた レユニオンの「名物」の虹 


レストランのミニ公園

クレオール料理の昼食レストラン


  近くの湖までのミニハイク

   途中 乗馬のアクティヴィティー の一行に出くわした 

Tec- tec ♀

Tec-tec   ♂

 


 この湖で折り返す        Grand  Estung           この島にはヘゴが所々で群生する シダ類ヘゴ科


 Zoizo la vierge   ♂                レユニオン  16/7/2018

 遊びに来ていた近くの子供達 みんな混血のクレオールだ

 みんな人懐っこい 離島県だがフランスのセンスも十分感じる 

バラショワ広場 

1913年地中海横断飛行に成功したローランギャロスはここレユニオンの出身だ


  バラショワ広場の海岸 「バラショワ」は古い港という意味 むかし港であったが小さくなったので 港をよそに移転して 跡を埋め立てて広場にしたそうだ                 サンドニ     16/7/2018 

グラフィティ ?  いや有名人のストリートアート

バラショワ広場


 サンドニ市内には植民地時代のクレオール様式の建築があちこちに残されている

早朝のフライト     サンドニ から モーリシャス へ

レユニオン島をあとに    18/7/2018



モーリシャス島南東のマエブールを右に降下

サー・シーウィーサガー・ランゴーラム国際空港 18/7/2017


アプラヴァシガート(ヒンドゥー語で移民の駅の意味)  19Cに仏から英領となり 奴隷に代わる労働力として 主にインドからの移民受け入れに使用された建造物群 現存するのは約1割で波止場・病院・厨房・トイレ等が部分的に残る

indentureとは契約による奉公的労働

労働者はクーリーと呼ばれここを通って砂糖プランテーションに運ばれた インド・東アフリカ・中国・マダガスカルから労働者は200万人に上ったとされる   負の遺産とされるものの1つだが 労働力の国際的大移動の先駆けとなった            ポートルイス    モーリシャス   18/7/2018  

【歴史】1638年にオランダがインド航路の補給地として植民を開始  マウリッツ 公に因みこの島をモーリシャスと命名 奴隷を移入しサトウキビのプランテーションを経営するが上手くいかず1710年オランダは撤退 

1715年フランスが再植民地化してポートルイスの建設やアフリカ奴隷を使いプランテーションを再開発

1810年イギリスに占領されイギリス領となる 1835年英議会で奴隷解放が可決される

同年奴隷に代わる労働力としてインドからの移民の導入が開始される

現在も英連邦加盟国

 


 アプラバシガートの復元ジオラマ

シャン・ド・マルス競馬場 イギリス植民地時代1812年に完成 世界で2番目に古い競馬場

アデレード砦 港の防衛のためにイギリス統治時代に築かれる


 シグナル山(500m)とポートルイスのダウンタウン  ポートルイスはフランス人により建設され ルイ15世に因んで命名された 市民の多くは19Cにインドから来た移民の子孫である モーリシャス 18/7/2018 

                                                                                     アネリア  リゾート ホテル    モーリシャス   18/7/2018

ヨーロッパからの観光客も多い

”Breakfast is ready"  in  Mauritius


  ホテルの庭にいた鳥   頭の形はカーディナルとおもいますが 枝もたわわの実は今が食べごろ

 遊覧のヘリポートはゴルフ場の中の一部を使用していた

あっという間に海岸線が見え出す

モーリシャス島の南西 ル・モーン (556m)付近を目指す


海の滝(海中のサンゴや砂の微片の流れが起こす錯視現象)がきれいに見える必要 3条件

・晴れていること

・干潮時

・午前中(11時頃)

今回は午後からの満潮時となり

誰もが海に滝があるようには見えなっかた 敢えて言うなら少しそれらしいところはあるようです 残念!

(OPTの4万は高いものになった ?)


 白い波がなかったらもう少し滝らしくみえたのでは・・・・・・

【歴史】モーリシャス南西部の半島にある標高556mのル・モーン山 18~19Cに逃亡奴隷が隠れていた場所で 彼らが洞窟などに残した  文化的遺産は「奴隷の自由との闘いの象徴」として価値がある モーリシャスで奴隷廃止が決定され  警官がル・モーンに「自由になった呼掛け」に行ったが  奴隷たちは捕らえにきたと誤解して 崖から飛び降りたという悲劇がある  

  サトウキビ畑

 シャマレルへの途中の展望台より

シャマレルの滝 (ヘリより撮影)

シャマレル7色の大地 (ヘリより撮影)


シャマレルの滝

 シャマレル火山から噴き出した溶岩の様々な鉱物が大気と接触して変化した七色の大地

今日は雨天で色もさえない

 シャマレル 7色の大地 雨天のせいで7色の彩度は最悪                 モーリシャス     19/7/2018


   セイシェル国際空港 到着                              マヘ島   セイシェル  19/7/2018

アバニ・セイシェル・バーボン リゾートホテル                    マヘ島    セイシェル共和国      英連邦加盟国     19/7/2018

1742年フランス が探検隊を送り込み 当時の首相の名前からセイシェルと名付けられた 1756年フランスが領有を主張するも 1794年イギリスが占有   1815年仏が英に領有権を譲渡  1976年独立 

カタマランの高速艇でプララン島へ  20/7/2018

マヘ島の港を出港     約1時間のクルージング


  プララン島 の港

 ヴァ・レ・ド・メ国立公園 プララン島    20/7/2018

公園入口のカフェ


 ヴァレドメ国立公園(ヴァレ・ド・メ・自然保護区)内の見学コース       セイシェル共和国のシンボルともいえるココデメールはプララン島とキュリーズ島にしか生育しない固有種    樹高約30m   世界最大の種子をつける木 ココデメールは雌雄異株で  雄株の花から飛んでくる花粉(精子)を雌株の花が受粉し 7年目に成熟して自然に地面に落下する そのとき中から固い種(2つ~3つ)が出てくる  その形が女性の腰部によく似ている 1つで20kgもあるという この種が適度の湿り気があると地下茎を伸ばし5・6mの地中から地上に芽を出し 15年~20年かけて花(実)をつけて 再び受粉するサイクルを繰り返す  受粉は風やゲッコウ(ヤモリ)やアブなどで媒介される ヴァレドメには約4000本のココデメールがあるがその8割が雌株です  雄株も成長過程は同じで花(形は男性器によく似ている)をつけ花粉を作るまで25年位かかる

  19Cここを訪れた英国のチャールズ・ゴードン将軍はココデメールこそ「アダムとイブ」だ  この島こそ「エデンの園」だとか言ったそうです

 ココデメール  (双子ヤシ・オオミヤシ・ウミヤシ) の雌株     黒い部分は花序 この内1つか2つの実が大きくなる      

  ココデメールの雄株 花序の表面に黄色い花粉(精子)が付いているのが見て取れる

ココデメールの種は世界最大 右下は花粉


種子が発芽するまでには22~3年を要し

毎年1枝ずつ葉をだす これは発芽して6年

樹皮の縞模様は枝の落ちた跡

これで樹齢もわかる


   ヤシの枝葉も 実と同じように 突如上から「ドサッ」と落ちてくる  頭上注意!

Green Day Gecko (ヤモリ)

 Snail  (カタツムリ)  ヤシの葉裏にはトゲがある


  果実が重いため 幹に直接果実がなる  ジャックフルーツの木

黒真珠の養殖とショップ


 ・

 アンスラジオビーチ

  アルダブラゾウガメ   セイシェルの南西のアルダブラ環礁には15万頭のゾウガメが生息(渡航禁止)

 プララン島やセイシェルの海岸には大きな花崗岩がゴロゴロしている      中生代にセイシェル諸島はマダガスカルやインド亜大陸と共に アフリカ大陸のソマリアから分離したため  島の主岩は大陸と同じ花崗岩   一方インド亜大陸の分離を起こしたプレートテクトニクスは海底から火山岩を噴出して 南東方向の玄武岩質のモーリシャス島やレユニオン島を形成した      プララン島    20/7/2018

   マヘ島の分譲リゾート地 確か空港にこの物件の不動産広告がありました                                  キャッチフレーズ は「エデンの島で永住できますよ」

 ヒンドゥーの寺院 セイシェルは約9割の人がカトリック教徒である ヴィクトリア  セイシェル共和国の首都  

街の中心のある時計台はヴィクトリアのシンボル的存在   ヴィクトリア マヘ島 21/7/2018

図書館入口にあった シンボルマーク     

ヤシ・ゾウガメ・メカジキ・白尾熱帯鳥が入る

アルパート通り


 たくさん見たけど 見られなかったものも多い インド洋も海ばかりではなかった 負の歴史遺産もあるが 島々にはそれぞれの素晴らしい違った固有の文化と自然が残されている     訪問記念にスマホをアンスラジオビーチの海にに沈めてきました・・・                       21/7/2018