アビジャン ル・プラトー周辺とエブリエ潟 アビジャンは人口約500万のこの国最大の都市 1960年仏よりコートジボワールが独立時 首都はアビジャンからヤムスクロに移転 コートジボワール 4/11/2016
国立民族衣装博物館 (旧総督邸跡) グランバッサムはコモエ川の河口でアルサムと呼ばれていた町で時代ごとに様々な民族が流入し フランス植民地時代には首都が置かれたところ
お祭りのこの日 (旧)国王と部族長の集まりが終わったばかりで 解放感も手伝ってか みんな 笑顔で答えてくれた グランバッサム コートジボアール 14/11/2016
エルミナ城 (セントジョージ要塞) 1471年当時ギニアと呼ばれたこの地をポルトガル人が訪れ 内陸でとれる金を手に入れたことからミナ・デ・オロという港町が起こる 1482年ポルトガルがスペインに対抗して ギニア湾防衛基地としてエルミナ城を建設 1637年オランダ東インド会社に受け継がれ 奴隷貿易の拠点となった 1872年よりイギリスの統治下におかれる 1957年の独立までコスタ・デ・オロ(黄金海岸)と呼ばれる エルミナ ガーナ 15/11/2016
要塞城壁より見る夕日 ここに立つと暗黒時代を思い浮かべずにはいられない
エルミナ海岸
要塞の中庭
上には総督の部屋
女の奴隷牢入口
お仕置きの牢 生きて出られることはなかった 中には犠牲者へ慰霊の花束が置かれている 15/11/2016
奴隷牢内部 ここに 100~150人もの奴隷が詰め込まれ トイレもなかった
男の奴隷牢入口
東側の海岸からみるエルミナ城 1482年にクリストファー・コロンブスもこの地に来たみたいだ
ケープコースト城 1555年スウェーデンにより建てられる その後 デンマーク →オランダ→1665年イギリスと支配権が移る 当初はガーナ産の金が主であったがその後 奴隷貿易へと変わっていった 16C中頃~19C中頃の約300年の間に1500万人以上がアフリカから奴隷として売られたと言われ ヨーロッパから武器や綿織物がアフリカに売られ アフリカからアメリカ大陸と西インド諸島へ奴隷が売られ そこからはヨーロッパへ綿花・砂糖・コヒー・タバコなどが売られる 所謂三角貿易構造が成立
ケープコースト城から見える漁村 こんなに浜に人がいる漁村はめずらしい ガーナ 16/11/2016
国道8号線復旧工事のガーナ・日本友好の看板が立っていた クマシ ガーナ 16/11/2016
ビシアス神殿 イギリスとの戦争で破壊されるが再建 木と竹の構造材に土壁 屋根はヤシの葉
アシャンティ王宮入口
アシャンティのシンボル ヤマアラシ
クマシの市場(西アフリカ最大の規模) クマシは首都アクラに次ぐ人口約200万の大都市
17C~19Cにかけてこの地方を支配したアシャンティー王国の古都でもある 17Cに ヨーロッパ人から銃火器を購入したしたアシャンティ族が周辺部族に対して優位に立ち 奴隷貿易で力を蓄え アシャンティ王国を建設して大いに繁栄したが 19Cには植民地化と奴隷貿易の衰退とともに消滅 また クマシは熱帯雨林地方に位置して多彩な植物が生息して「庭園都市」とも呼ばれている
偶然出くわしたお葬式 本来写真は遠慮すべきところですが 現地ガイドがこんな盛大なお葬式に出会ってみんなラッキーだと言って自らもスマホをとりだした 部族長クラスの偉いかたの伝統的な葬式らしい 赤い喪服は近親者が着る 偉い人は傘の下に席をとる
エンクルマの像
エンクルマ記念館 第二次大戦後のアフリカの独立運動を指導した「アフリカ独立運動の父」 1957年ガーナ共和国の独立を達成
エンクルマの墓
野口英世の像 コレブ病院構内
福島県出身 ペンシルベニア大学卒
ロックフェラー医学研究所研究員
野口は黄熱病の研究中に自らも罹患し1928年ガーナのアクラで51歳で死去
国境近くの橋から見るヴォルタ川の河口 1885年この辺一帯ガ独領トーゴランドと宣言されたが 第1次世界大戦後の独領の分割で 東側はフランスがトーゴランドとして統治し ”ヴォルタ川を含む”西側は英領トーゴランドとなり 後に英領ゴールド・コストと併合された(現ガーナ)
【植民地政策】 アフリカでのイギリス の植民地政策は間接統治方式がとられ アフリカ人首長層を行政組織の末端に組み入れ 総督の下の行政審議会・立法審議会にもアフリカ人首長層を入れ 訓練をおこなった 独立後ガーナやナイジェリアではこの経験が国家運営に役に立ったはずだ 一方フランスのアフリカでの植民地政策は同化方式がとられ フランス文化を植民地に普及させ フランス化して吸収しようというものだった 一部エリートの同化民と多数の非同化民の二分化が進んだ
【管理される通貨】旧仏領西アフリカと旧仏領赤道アフリカの14ヵ国は「CFAフラン」を使用しているが この14ヵ国は全ての外貨準備の65%(約2兆円)を共同準備金としてフランス中央銀行に預託して ユーロに対してのCFAフランの固定相場を維持している
昨今経済成長著しいアフリカ諸国だが 例外的に成長が停滞しているのがCFA通貨経済圏
の14ヵ国で ユーロに固定されることで安定はあっても 輸出が伸びず また超低金利ではリターンもすくない これを新植民地税というのでしょうか 19/11/2016
ブードゥーマーケットの案内人 手にもっているのは薬に使ったり 儀式に使われるものです
ワニ フクロウ サル カメレオン などがが乾燥されて売られている ロメ トーゴ
ブードゥー教 火の祭壇 年1回ここで火をともす儀式が行われる ブードゥーマーケット ロメ トーゴ
バオバブの木 種類は不明 ソトゥブアの村
中央州 トーゴ 20/11/2016
バオバブの実
実を二つに割ったところ 白い果肉は甘くはなかった がビタミンCやカルシウムを多く含む 種子からは油が取れ 若葉も食用樹皮は煎じれば解熱剤、解繊して編めばロープになる バオバブの蜂蜜もある
(左)今年7月に上の写真のバオバブの種子を鉢に植えました 中々芽が出ず諦めていましたが 10月に種皮を帽子のようにのせて 鮮やかな緑の芽が出ているのを発見して感動しました
現在約3cm できるだけ育ててみたいとおもいます 自宅にて 3/10/2017
ソコデのあるこの地方はテム族とコトコリと呼ばれるイスラム化した民族で構成され 70%がイスラム教徒で トーゴ最大のムスリム居住区で トーゴにあって独特の風情を持つ
この民族が周辺に次々と村落を築き交易圏や文化圏をひろげていった 当時の主な交易品の一つが「コーラの実」であったと言う
ソコデ 21/11/2016
ブードゥー教炎の儀式(テュボール) その昔ここは勇壮で知られた戦士たちがいたが ある日火を使って攻めてきた他部族に負けて村は焼かれた そのことを悔いた戦士たちは火の神と契約をした その後火によって侵略されることはなくなり 今も火の神との契約が続いているなごりだ こどもたちも楽しみが少ないのか みんな出てきてしんけんに見ている カラタオ ソコデ トーゴ
シアバターの木 女性に保湿クリームとして人気のシアバターがとれる
シアバターの木(部分拡大)
ダンバルマ郷 バッサンバ村 ベタマリベ族が住む 世界遺産 トーゴ(側)
円錐の土の塔は魔除けの意味があり 21/11/2016
入口には呪いの呪物 中二階はキッチン
バッサンバ村の村長 自身も店をひろげる
結婚式の儀式用帽子をつけて民族舞踊を披露してくれた バッサンバ村 ダンバルマ郷 トーゴ
楽しく踊ってくれるが生活は苦しそうだ
世界遺産になり観光収入にも期待が高まる
このバオバブはこの村にとって 象徴敵な存在なのかもしれません
バッサンバ村 ダンバルマ郷 トーゴ
バオバブの内部 立った状態で7~8人は入れるでしょうか 部族間の争いや奴隷狩りから逃れるために使ったといわれる
バオバブの入口 身体をねじってなんとか入れるが 少しカムフラージュするとまったくわからない
タタソンバ郷 タガリ村 ソンバ族が住む 入口には呪物 外壁には伝統の装飾文様が施されている ナティティンゴ ベナン
青空の散髪風景
自宅を一人で増築している村長
二階の穀物倉庫
タガリ村 小学校 訪問 生徒数177人
校長室で窮状を聞かされ 寄付をねだられる
ブードゥーダンス 「エグングン 」と呼ばれる先祖の霊と 家族や地域の絆を強めるための祭りの儀式的踊り 先祖からの忠告を伝える役割のため派手な衣装で着飾っている アボメーの下町の狭い一角で演じられた 舞う人も演奏する人も観客をガードする人も みんな真剣で 観る方にも緊張が伝わる いかつい顔のメインドラマーはなにやら怖かったが魅力があった 急に女性の飛込み踊りが入り笑みがこぼれた
ガンビエの水上生活集落 人口2万2000人 学校も病院も教会も揃っているという ベナン
空に開いた投網 4回投げて収穫0 最近の開発で水も汚染されているという ガンビエ 13/11/2016