ブレッド湖 ユリアン・アルプスに位置するブレッド湖には 聖マリア被昇天教会のあるブレッド島が浮かぶ 240110 16/4/2013 スロヴェニア
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15Cグーテンベルクが発明した活版印刷を中世さながらに実演する印刷工房
竜の橋
リュブリャニツァ川に架かる竜の橋 山上にはリュブリアナ城 川向かえ右にはリュブリアナ大聖堂のドーム屋根が見えている ドラゴンは町のシンボルです 15Cゲオルギウスが当地の守護聖人になっているがドラゴンはキリスト教に屈した土着宗教をあらわすという説や ギリシャ神話でアルゴナウタイのイアソンが退治した怪物がドラゴンになったとかの諸説あり
240111 16/4/2013 スロヴェニア
旧市街 なぜか電線にはたくさんの靴がぶら下がる
ドーマー屋根とチムニーが印象的
旧市街の中央を流れるリュブニャニツァ川と遊歩道
ポストイナ鍾乳洞入口 トロッコ列車で入場
たくさんの観光客を受け入れる広場
ヨーロッパ一の規模
聖ヤコブ大聖堂 シベニク
シベニクはクロアチア人がアドリア海沿岸に最初に築いた都市 当初はゴシック様式で途中からはルネッサンス様式で 100年以上かかって1536年完成 ファサード部はあとに造られたので半円アーチのルネッサンス様式だがゴシック期にできたバラ窓がはいっている
240120 19/4/2013 クロアチア
聖ヤコブ大聖堂 内部
石材だけを用いて造られていて外部の形はそのまま内部の形に表れている
強い重厚感があり無骨な感じもするが
随所に施された細密な装飾や彫刻で和らいでいる
シベニク
240121 19/4/2013
聖セバスチャン教会の時計塔とイヴァナ・ハヴラ広場 トロギール
右の屋根のあるところはロッジア(開廊)になっていて かっては集会や裁判なども行われたが 今は憩いの場 クラッパ(アカペラの男声合唱)を聴かせてもらった(下の写真)
240122 19/4/2013 クロアチア
アカペラコーラス クラッパ グループの名前は 「KLAPA VESTIBULE」
スプリットを拠点に活動している あとでCDのセールスがあるが購入は自由
余談ですがア・カペラはカペラ「僧衣」が語源だとか イヴァナ・ハブラ広場のロッジアにて
トロギール 240123
聖ロブロ大聖堂
主要部分は13C半ばに完成 17Cまで建設が続けられた為 ロマネスク・ゴシック・ルネッサンスとさまざまな建築様式が混在する
中世クロアチアの彫刻家ラドバンによる西門周囲のロマネスク彫刻は見ものです
トロギール
240124 19/4/2013
ロブロ大聖堂鐘楼からの眺め トロギール
ディオクレティアヌスの宮殿跡 スプリット
軍人皇帝ディオクレティアヌスは 286年デュアルキア 292年テトラルキアと分割統治をし 303年キリスト教徒の大迫害をする 305年退位後出身地ダルマチアのこの宮殿に移り住むも316年没 313年のコンスタンチヌスのミラノ勅令を考えると引際がよく読めた皇帝だったのかもしれません コスプレ中の地元の学生に出くわしました 21/4/2013 クロアチア
ディオクレティアヌスの宮殿跡 スプリット クロアチア
イヴァン要塞とスタラ・ルカ(旧港) ロクルム島と停泊中の豪華クルーズ船が見える
7Cには都市国家ラグーサと呼ばれ 14Cにヴェネチア共和国より自由を得て ドゥブロヴニク共和国となる 町の城壁は8Cにできるが 15~16Cの工事で現在の形になる 約2kmの城壁の遊歩道一周も楽しい 240126 21/4/2013
聖ブラホ教会とルジャ広場に立つローランドの彫像
ドゥブロヴニクの守護聖人ブラホを祀る もともとロマネスク様式であったが17C火災で倒壊後18Cにバロック様式で再建される ローランドは8Cカール大帝に仕えた騎士で イスラムとの戦いの英雄として伝説化され ヨーロッパ各地に自由都市のシンボルとして像が建てられている
240128 20/4/2013 クロアチア
ネレトヴァ川 と スターリ・モスト (古い橋の意味) モスタル
1556年オスマン朝支配下の時代に建てられ 木製の橋から石橋に替る ボスニア語で「橋の守り人」の意味を持ち モスタルを象徴する建築物 両端は監視塔 こちら側(橋の東岸)にはボシュニャク人(オスマン支配下でイスラムに改宗した南スラブ人)が住み 橋の西岸にはクロアチア人(ローマカトリック教徒)が住む 1991年セルビア系住民を含め旧ユーゴスラビアで内戦勃発 橋は破壊されたが内戦終結後2004年再建される
240131 20/4/2013 ヴォスニア・ヘルツェゴビナ
スターリモスト
240132 20/4/2013
モスタルにはモスクのミナレットも見える
ボカコトルスカ湾
240141 21/4/2013 モンテネグロ
聖トリプン大聖堂
「1166」年に建てられたロマネスク様式のローマカトリック教会 わかりずらいですが左の塔の一階壁には「809」の創建年の数字が 右の塔には「2009」の1200周年の数字が表示されている
コトルはローマカトリックと東方正教の境目に位置し 両方の教会が混在している
背後の山にはオスマントルコの侵入をふせぐ為 ヴェネチア共和国により巡らされた城壁がのこる
コトル モンテネグロ
240142 21/4/2013
ペルピニャン カスティエ門 ペルピニャンは「赤い要塞」の意味
17Cに30年戦争でフランス領になるが それまではスペインのアラゴン王国やカタルーニャ王国(バルセロナ伯領)に支配されており いまなおその影響が色濃く残る フランス領カタルーニャの中心都市 ダリをして「ここが世界の中心だ」と言わしめた
12Cアラゴン王国に吸収され13Cには首都にもなる 15Cルイ11世に占領され 1493年にはシャルル8世によりフェルナンド2世(カスティージャ共治王)に割譲される
カスティエ門は1368年城門として建てられる ルイ11世のときには牢獄としても使われる
240311 21/10/2014
ペルピニャン 旧市街
ポルチコ風の通路にオーバーハングした二階部 木造の梁・柱・筋違は特徴的
通りには三色旗ではなく
カタルーニャの国旗が掲げられる
240312 21/10/2014 フランス
マッジョーレ広場 ボローニャ市の歴史を象徴する一角 今日は何かイヴェントがあったらしいが
もう店じまいをしていた 残念! 右はサン・ペトロニオ聖堂 ボローニャ イタリア 18/10/2014
中央のネプチューン像を中心にしたブロンズ像群は フランドル出身のジャン・ボローニャの作品 教皇ピウス4世の命により製作 16C バロック初期のマニエリスムの特徴が伺える フィレンチェのシノーリア広場のロッジア・デ・ランツィにある「サビーネの女たちの略奪」も彼の作品です 右はルネッサンス様式で建てられたポデスタ宮で行政長官が混乱時にここで執務をした
インディペンデンツア通り マッジョーレ広場とボローニャ駅とを繋ぐ 両側にはボローニャの名物「ポルチコ」が続いている この町のポルチコの総延長は数kmもあるという ボローニャ 18/10/2014
サンピエトロ大聖堂のドームから東方向を見る 広場中心にオベリスク その先にサンタンジェロ城とテヴェレ川が見えている ヴァチカン市国は世界最小国だがまともに全てを見ようとするとフィレンチェなどと同様「スタンダール症候群」になる AD4Cローマ帝国時代の異教徒用のネクロポリスにあったとされる聖ペテロの墓地に コンスタンチヌス1世が殉教者記念教会堂を創建する 聖堂は14C小シスマを経てローマ教皇の司教座所となる 現在のものはユリウス2世の1506年に起工するも 宗教改革や 1527年のサッコ・ディ・ローマなどで遅れようやく1626年に完成 18/10/2014 ヴァチカン市国
ミルヴィオ橋の戦い ジュリオ・ロマーノ作 コンスタンチヌスの間 コンスタンチヌスは312年ローマ近郊の戦いで夢に出た十字架を掲げ宿敵マクセンティウスを破り 西ローマ帝国の支配者となり 313年ミラノ勅令を発す
サンピエトロ広場のオベリスク移転風景 BC1C アレキサンドリアでアウグストゥスに捧げられたものを AD1Cにカリグラ帝が旧聖堂の南側で後にネロのチクルス(競技場)と呼ばれた場所に運ばせた 1586年教皇シクトゥス5世がさらに現在の場所に移動させた 木の櫓が組まれたくさんの人夫とロープで動かしている ヴァチカン 回廊の壁画より 18/10/2016
テベレ川に架かるサンタンジェロ橋とサンピエトロのドーム
サンタンジェロ城の歴史は面白い もともとはハドリアヌス帝の霊廟として2Cに建立 この名は6C 天使が陵墓に舞い降りペストの猛威からローマを救ったことに由来するがローマ防備のため次第に城塞化する 「1077年カノッサの屈辱」の神聖ローマ皇帝ハインリッヒ4世が4年後復讐に出て ローマ教皇グレゴリウス7世はここに籠城し ノルマンのギスカールに救われるもローマは略奪にあう 446年後今度は教皇クレメンス7世がフランソワ1世と手を結んだことでカール5世に攻め込まれここに逃込む
ラオコーンの群像 1506年ティトゥス帝跡より発見され ミケランジェロはいち早くユリウス2世に購入を勧める 神官ラオコーンは木馬をトロイ城内に入れることに反対して 女神アテナよりポセイドンの海蛇をむけられ2人の息子とともに殺される場面 トロイが敗れアエアネスがイタリアに渡り ローマ建国神話へと続く
聖体の論議 下には神学者や教会が 中央縦に三位一体 左右に聖母と洗礼者ヨハネと聖人 18/10/2016
アテネの学堂 自然科学や哲学を称揚している 学堂はブラマンテに触発され”ギリシャ十字”の形の中に納まり キリスト教と中世に疎んじられた”ギリシャ哲学”の調和を意図しているといわれる
パルナッソス山 この山はギリシャ神話でデルポイの上にあり アポロン神が 9人のムーサイ(文芸の女神)と共に祀られている 音楽と詩の聖地 中央にリラを持つアポロンが描かれている
キリストの変容 ピナコテーカ ヴァチカン美術館
聖ヒエロニムス (28歳頃の制作 未完成) レオナルド・ヴァヴィンチ 19Cに再発見されたとき上部は家具の扉に 下部は靴屋の台に使われていた 画中石で自分の胸を打つヒエロニムスは 340年ダル
マチア生まれの神学者 シリアの砂漠で隠遁生活の修行をし ヘブライ語を学び ローマで聖書のラテン語訳の業績を残す 右下はかって足の棘をぬいてやったライオン 15/10/2014 ピナコテカ ヴァチカン
アラ・パキス (平和の祭壇) ローマに来る度にいつも見逃していたので 朝一番に行くが ガラス張りの展示館で強い窓枠の影が入る BC13年 アウグストゥスのヒスパニアとガリアからの凱旋を元老院が称え この勝利でローマ市民・帝国に平和がもたらされたことを祝して平和の女神に奉献される パックスロマーナを象徴するものであるし 当時の宗教観もうかがえる 19/10/2014
カラーラ ( 車窓からの撮影 MASSA駅近く)この山一帯が昔も今も大理石の採石場
手前には世界中への出荷を待つ大理石が所狭しと積まれている あのミケランジェロもブルネレスキーも自らの作品のためにここに何度も足を運んでいる イタリア 19/10/2014
モナコ一望
随分と横長になりましたが 大公宮殿前広場よりモナコ港までをなんとか"パノラマイズ"
国連加盟国中では世界最小国 モナコ市が領土の全て タックスヘヴンは超過密都市です
大公のグリマルディ家は13C末から700年以上つづく 240021 19/10/2014 モナコ
マケドニアの首都スコピエ 1963年の大地震で8割が倒壊 再建には丹下健三氏が設計協力
聖パンテレイモン修道院
ビザンチン帝国の王子アレクセイ・コムネノスにより1164年建てられる 内部は青を基調とする
12~16Cのフレスコ画がすばらしい 12/8/2010 スコピエ マケドニア
イェニモスク内部 16C 修復中 ビトラ
大ヴァシリカの隣 大広間の床モザイク
考古遺跡 プラウシュニック と オフリド湖 サミュエル要塞より撮影
オフリド湖は地学的にみてヨーロッパで最古に形成されその透明度も高くマケドニアのシンボル オフリドは11C第一次ブルガリア帝国時代に首都がおかれた後に 東ローマ帝国領となる
この間スラブ世界におけるキリスト教文化の中心地となり300もの教会があったといわれる
893年聖クレメントにより”聖パンテレイモンに捧げて”創建される この教会は15Cオスマン帝国によりモスクに改装されるも2002年に再建 クレメントの遺骨も奉還される スラブ圏東部のギリシャ正教で使われたキリル文字は 聖クレメントの考案とキリル・メトディスト兄弟のグラゴール 文字の考案が絡んで出来たとされ オフリドが誕生の地だといわれている マケドニア 230061 13/8/2010
聖パンテレイモン・聖クレメント教会 (プラウシュニック修道院) ローマ時代の初期キリスト教会 (バシリカ)の基礎のうえに893年創建ビザンチン様式の教会 230062 13/8/2010 マケドニア
聖ヨハネ・カネヨ教会 オフリド湖
13Cの創建 正十字型の平面構成 アルメニアの建築様式の影響 湖に突き出したロケーションはすばらしい むかしは船で往来したのでしょうか 230063 13/8/2010 マケドニア
ジーロカストラ 14Cジーロカストラ公国の中心地 「石の町」の意味 3Cに砦であったがビザンチン帝国領を経てオスマン帝国の支配下に入る 地産の石材を使った屋根や壁の家並みが美しい 点景はヒマラヤ杉です 240011 14/8/2010 アルバニア
ロガラ峠とオトラント海峡
カルスト山地の急斜面をサランダ方向からバスで登る ヘアピンカーブを何度もターンしてロガラ峠の展望台に着く 標高1027m 右(西)はオトラント海峡で南のイオニア海と北のアドリア海の境目になる 車道はチカ山(2018m)中腹の峠を越える 北へ下ると風景は一転する 松やモミの針葉樹が茂る緑豊かなロガラ国立公園にはい 15/8/2010 アルバニア
アポロニア遺跡 ヘレニズム時代のブレウテリオン(議会)跡 都市アポロニアはBC620年ギリシャ人が建設 ビヨサ川河口でアドリア海に12kmの距離という立地条件にあリ ローマ・ビザンチン帝国に引き継がれるが 5Cの地震で衰退にむかう オクタヴィアヌスは義父カエサル暗殺の報をこの町で聞いた
名物 トーチカ 1968年ワルシャワ条約機構を脱退 ソ連を仮想敵国とする軍事政策と鎖国政策がとられた 1976年から国内全土にコンクリート製のトーチカを何十万個も建設した 今となっては解体もままならず放置されているが 一部は貯蔵庫や都市部では店舗などに再利用されている
千の窓の町
城下のマンガレム地区に立つオスマン時代の窓と屋根の特徴ある家並み 一階は石壁で築かれ銃口用の小窓があり二階は採光用の窓が白い漆喰壁にはめ込まれている
ベラート
240016 15/8/2010 アルバニア
ベラート 特徴ある民家
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