鳩の岩 Pigeon Rocks   「 ここからダイブをした」というのは大変自慢できることらしい  ベイルート    レバノン

ビブロスの十字軍時代の要塞跡

古代にはフェニキア人の都市として

栄える ビブロスはギリシャ人のつけた名前で現在はジュベイルと呼ばれている ビブロスはフェニキア人の発祥の地とされフェニキア文字もこの地で生まれる レバノン杉の交易で発展 その代価でエジプトのパピルスを購入しギリシャへの積出し港となる ギリシャで紙は「ビブロス」として知られ本の「ビブリオン」から聖書「バイブル」が生まれたという説もある 

バールベック神殿             レバノン山脈とアンチレバノン山脈に挟まれたベッカー高原にある アラブ語で「平原のバール」の意味 土着のバール(豊穣の神)信仰がギリシャや ローマの神々と融合する ひときわ高い6本柱がみえるジュピター神殿 ・その左手前にバッカス神殿・ヴィーナス神殿で構成されている 聖殿では古代ローマ帝国最大でネロ皇帝時代に完成     410011    レバノン 6/12/2005

バールベック神殿入口を飾るコリント式列柱にはエジプトのアスワンの花崗岩が使われている

バッカス神殿入口 現存するローマ神殿のなかでは最も保存状態が良いとされる

巨大6本柱とエンタブラチャ    ジュピター神殿跡

変な構図になりましたが地面に横たわる大きな梁のエンタブラチャは柱の上(高さ22m)のと同じものです コーニス部分にはガーゴイルの機能をしたライオンのレリーフやすぐ下にはヘレニズム的なメアンダーの連続模様が施されています

 410012        26/12/2005        レバノン

ヴィーナス神殿(部分・未公開) 4Cに建立されたがジュピター神殿とバッカス神殿は要塞内に移設されたため本殿から別れてしまった


世界最大の切り石と言われる「南方の石」 ジュピター神殿の南西1kmにある花崗岩石

サイズ 21.5×4.2×4.8 m  重量 約2000トン   現代の最新重機を以てしても運搬は不可能 

まさにオーパーツ( out of place artifacts ) です              バールベック遺跡

アンジャル遺跡    レバノンに残る唯一の城塞都市で 8Cウマイヤ王朝のワリード1世の命のより建設される ベイルートとダマスカスの中間に位置し繁栄 イスラム権力者達の宮殿・モスク・公共浴場跡など

アンジャル遺跡       アンジャルとは「岩からの水」という意味   8Cにはまだイスラムの建築様式が確立されてなくビザンチンの建築様式が使われ   また壁には横の縞模様が見えますがこれはデザインではなく地震対策で煉瓦と石を交互に積んだ結果だそうです ベッカー高原   レバノン  26/12/2005


パルミラ遺跡     パルミラは「ナツメヤシ」の意味  シリア砂漠アブルジマイン山脈麓のオアシス都市  右に一際大きなテトラファイロンが見える  ローマ皇帝ティベリウスの時代にシリア属州となり交易で栄えるが 273年王女ゼノビアが反抗しアウレリアヌス帝に滅ぼされる 以後アラブのガッサン朝・ウマイヤ朝・アッバース朝・オスマン帝国と支配者が移って行く                                                410021        27/12/2005        シリア

右端に記念門があり列柱道路が左奥へと続く   (手前は南北に通る現在の道路)

ベル神殿  Temple of Bel ベルとはセム語で「主人」の意味  現在のものはAD32年建立 

バール・シャミン神殿  Temple of Bal-Shamin  雨をもたらす豊穣の神  5Cキリスト教会に改変される


テトラファイロン(四面門)  Teyra-pyron 4つの柱が1組となった4組で構成されている門  中心部に置かれる古代ローマ都市のシンボル 

(ハドリアヌス)記念門 Monumental Arch 列柱道路南の入口 中心11m 柱廊両側7m

アラブ城    パルミラ  もともと12C~13Cに十字軍に対抗するためにアラブの砦があったが 現在のものは17Cにオスマン帝国が城塞として建設 歴史的価値もさることながら今となっては展望台的価値もおおきい  夕日をみるには最高です 410022   27/12/2005     パルミア   シリア

ローマ劇場 演劇・合唱・演説等が催され スカエナエ・フロンス(背後の壁部)  プルピタム(舞台) オーケストラ(半円形部)  カウェア(観客席)が主要部

墓の谷よりパルミラ遺跡と現在の町を見る


(有力貴族)エラベル家の塔墓 4層構造で300体埋葬可  103年建立 

漢代の中国絹織物が出土している

                         27/12/2015    パルミラ   シリア

アラート神殿(2C)出土のライオンの像 パルミラ博物館内  ライオンの脚にはカモシカが挟まっているが「血を流さないものを祝福するよう」アラビアの女神アラートに祈願する碑文があるという


ウマイヤドモスク      

過ってはローマ神殿がありそののち洗礼者ヨハネ教会も建ったところ ダマスカスを首都とするイスラム最初の王朝の 第6代カリフ ワリード1世により 705年から改築されローマ式・ビザンチン式が残る  現存するモスクでは最古のもの                     ダマスカス    シリア   28/12/2005

洗礼者ヨハネの霊廟   (ウマイヤドモス内)          ヘロデイヤの娘サロメへのご褒美で ヘロデ王が斬首させた洗礼者ヨハネの首塚が保存されている                                          ダマスカス   シリア     28/12/2005

サラディン廟入口 女性はグレーのフード付きのガウンを着せられる

サラディンは1187年第3次十字軍を破りエルサレムを奪還した英雄  1169年 シーア派のファーティマ朝の宰相となった後  カイロにスンニ派のアユーブ朝を建てたクルド人


聖パウロ教会 ダマスカス

パウロはパリサイ派のユダヤ教徒で キリスト教徒の

迫害にダマスコにやってくる途中光にうたれ

眼がみえなくなり ダマスコの「真っ直ぐの通り」にある家に連れてこられる

パウロの籠による脱出の画 聖パウロ教会内 

キリスト教の布教者として活躍を始めると 今度はユダヤ教徒に追われ ダマスコの城壁から籠で吊り降ろしてもらい難を逃れる 29/12/2005  

聖アナニアス教会礼拝堂(地下)  アナニアの家跡

聖アナニアは主からパウロの滞在する家を訪ねるよう命じられ 会うとパウロの目が再び見えるようになる 「目からうろこが落ちる」の語源 以後キリスト教徒に回心し指導者になる

聖パウロ門  聖パウロが籠で吊り降ろしてもらったとされる城壁跡  聖パウロ教会の門となっている パウロはネロ帝のときローマで殉教  異邦人への布教の影響は大きい 29/12/2005  


 マルーラ                                                   聖サルキス教会は山上左上に屋根がわずかに見えてます    

アンチレバノン山脈の渓谷にイエス・キリストが話したという「アラム語」が今なお残る人口約5000人の村がある 家々は南の斜面にひしめいて建てられている 山上にはギリシャ正教の聖セルジウス(アラブ語でサルキス)教会がある この教会の歴史はキリストの時代まで遡る 入口は岩を掘って造られ (下左) 主祭壇は縁を7センチ程高くした半円形大理石の盤状のもので石の台座の上におかれていて 初期キリスト教においては生贄の儀式を行ったことを物語っている (下右) キリストを抱いた聖母マリアのイコンは福音者聖ルカの画の「模写」であると信じられている  28/12/2005 シリア

聖セルジウス教会のCenter Alter   

この祭壇は生贄の血を流せるような形状になっている       マルーラ  シリア

モスクワの「ウラジーミルの生神女(Theotokos)」がルカのオリジナルと主張するが それはイエスを右腕に抱いていてこの模写と明らかに違う・・・


 ボスラ  ローマ劇場       ボスラはペトラと同じナバティア人の都市で南のペトラに対して北の都

石材は玄武岩を使っているので全体が黒ずんでいる 因みにヨルダン川東部のBashan地方が英語のbasaltの語源という説もある ローマ劇場の遺跡としてはパルミラよりはよく残っていて特にスカエナエ・フロンス(舞台後方の壁)は完璧 規模は世界最大級で観客席は35段(仏オランジュのも同段数)ある 7Cにはイスラム勢力に要塞化される                    29/12/2005      ボスラ   シリア


ゼラシュ遺跡のフォーラム     集会や会議に使われた 160本のイオニア式コラムが囲んでいる 

ゼラシュはアレキサンダーに占領された後 ローマ帝国の支配下で2~3C繁栄 749年の大地震で崩壊し

全体の60%はまだ未発掘だといわれる       29/12/2005  ゼラシュ  ヨルダン

AD129年ハドリアヌス帝訪問記念門  ゼラシュ 

アルテミス神殿 一際高い12本の柱が並ぶ

エルカズネ

この凱旋門は町の南門も意味していた

バグパイプとドラムの演奏  南劇場にて

ペトラこの地に本格的の登場したのはエドム人だがBC1000年頃ユダヤ王ダビテに滅ぼされる

BC6Cには西アラビアからやってきた遊牧民のナバタイ人が通行料などをとり定住しはじめる

BC4C末にはマケドニア朝から分裂したセレウコス朝の攻撃をうけギリシャ文化の影響もうける

BC1Cローマのポンペイウスの攻撃をしりぞけるも  ユダヤ王ヘロデの攻撃をうけ領土の大半を失う

AD106年ペトラはローマ帝国の属州となる 4C大地震に襲われペトラは衰退する 7Cイスラム軍がきたり 12C十字軍がきたりするも次第に歴史の舞台から姿を消す 19Cスイス人探検家ブルクハルトにより再発見される              (左)エルカズネは砂岩を削ってこしらえた神殿風の霊廟でAD1Cから2Cのもの映画「インディー・ジョーンズ/最後の聖戦」の舞台ともなる


ペトラ遺跡  王家の墓と列柱                                                                       30/12/2005         ヨルダン

砂岩の崖を穿ちこしらえた王家の墳墓 内部は自然彩色の石目模様  ペトラはナバティア人の都市で遺跡はローマ建築様式  106年ローマ皇帝トラヤヌスの時代アラビア属州となる              410031

ペトラの渓谷   遠くの正面の崖には宮殿墳墓などが刻まれている 30/12/2005   ヨルダン

エドディル        ペトラ遺跡

エルカズネから約1時間の登り エルカズネのモデルになったという建物で高さ45m幅50mの修道院    周辺は狭いシークから想像がつかないくらい見晴がいい  410033       30/12/2005       ヨルダン

アンマン城址(ヘラクレス神殿跡)と市街 古くはローマ皇帝マルクス・アウレリウス時代にヘラクレス神殿が建てられた 現在国立考古学博物館がある 「死海文書」は有名 410034   31/12/2005  ヨルダン 


カエサリアの遺跡           BC25年ころヘロデ王により建設された港湾都市で カエサル・アウグストゥス帝に因み (カエサルは単に皇帝の意味)命名  ヘロデの死後宮殿はローマのユダヤ総督府となり イエスの裁判をした5代目総督ピラトも住んだ 最初の異邦人のキリスト教徒はカエサリアで誕生した  またユダヤ戦争のきっかけは ここで起こったローマによるユダヤ人の虐殺にあると ヨセフスの「ユダヤ戦記」は伝える その後ビザンチン帝国やイスラム教徒の侵攻で破壊されたり  12Cには十字軍の攻防の地ともなる       12/8/2007   カエサリア   イスラエル

カエサリアの水道橋跡    アーチの上の溝には直径17センチの陶器の管が3本通っていた

AD1C パウロがキリスト教の伝導の旅をしたころの港町の遺構


12C十字軍時代の砦跡

陸側からのイスラムの攻撃に備え堀が巡らされる   籠城最後の頼みの綱は 海からのジェノヴァやヴェネチアの補給船であった

ピラトの石碑(レプリカ)

この辺で1961年発見される ラテン語でピラトの名前が刻まれている貴重な考古学的資料

 


(左)

砦の中で

女子高生の課外授業なのでしょうか

神殿の丘  エルサレム            オリーブ山より見る 手前はケディロンの谷 神殿の丘(モリヤの丘 or ハラム・アッシャリフ)には中央に岩のドームと左(南)にアル・アクサー・モスク 遠くにはエルサレム旧市街に聖墳墓教会の青いドーム屋根がみえている  過ってあった「第一神殿」はBC586年にネブカドニザル2世のバビロニアに  「第二神殿」はAD70年にティトゥス帝のローマに破壊され ユダヤのディアスポラが始まった   410041  15/8/2007  イスラエル

岩のドーム     現在のドームは691年第5代カリフ アブデル・マリクが建てる 現存するイスラム建築としては最古                   15/8/2007     神殿の丘  ( ハラム・アッシャリフ/モリヤの丘) エルサレム  イスラエル

アル・アクサーモスク    ウマイヤ朝ワリード1世が8Cに預言者ムハンマドの「ミウラージュ(光の梯子を登っての天上飛行)の奇跡」を記念して建設 現在のものは13・15Cに再建されたもの イスラエル領内だがヨルダンがワクフとして管理している

神殿の丘の南麓面  後方オリーブ山        アル・アクサーとはアラビア語で「遠隔のモスク」の意味 遠隔とはムハンマドがメッカからエルサレムまで天馬ブラークに乗って飛んだ「夜の旅の奇跡」(イスラー)と ミウラージュの天国と両方の意味があるようだ


ヒンノムの谷(シオンの丘から見る) ここはエルサレムの城外になり 語源のヘブライ語のゲーヒンノームには地獄の意味も含まれる イエスの時代は処刑された死体やゴミがすてられ悪臭を放っていた

嘆きの壁 前広場  「バル・ミツバ」の日           この日はユダヤの成人式「バル・ミツバ」(男子13歳のお祝い)の日でした まるでブリューゲルの画のような構図です 中世以降にできた宗教儀式だが近年は次第に派手になってお祭り騒ぎ  女性は柵の手前から祝福をおくる  男子側の奥にウィルソンアーチが見えている  410043        15/8/2007 

嘆きの壁の前

バルミツバの日 女性オフリミットの柵


(上) 鞭打ちの教会  ヴィア・ドロローサ  第2留   イエスはここで茨の冠を被せられローマ兵たちに鞭で打たれる

(右) エッケ・ホモとはピラトがイエスを指して言ったことばで「見よ、この人を」の意味 このアーチはトラヤヌス帝がユダヤの反乱の鎮圧したのを記念して建てられた凱旋門の一部

エッケ・ホモのアーチ    エッケ・ホモ教会がある


聖墳墓教会

  第9ステイション   イエスガ3度目に倒れたところ

現在のコプト教会の入口


シオンの丘  シオンとはもともとエルサレムの中にあった「エブス人の要塞の名前」で ダビデが奪取してから「ダビテの町」の場所的な意味になり そのご宗教的スピリチャルな意味に変わっていく 

セナクルのある建物                      シオンの丘       

(参考写真)セナクルとは「最期の晩餐」の行われた場所をさし 一段高いステージのこと                                    シオンの丘        エルサレム


ダビテ王の墓     女性はオフリミットです

ペテロが鶏が鳴く前に女中に告げ口をされローマ兵の前で(三度)否認している群像 

鶏鳴教会の扉 

ペテロ三度の否認予告のレリーフ

1931年シオンの丘東斜面に建てられる

この教会はイエスが逮捕後 厳しい尋問と拷問を受けたユダヤの大祭司カヤパの屋敷跡に建てられている 最期の晩餐のあとイエスは

ペテロに「あなたは今夜鶏が鳴く前に3度私を知らないというだろう」と予言した場面です

教会の傍らにある2000年前のすり減った階段は イエスが実際に歩いた可能性があり かってはヴィア・ドロローサとして巡礼路に入っていたそうです


ガリラヤ湖畔  カペナウムの丘より南西に展望  麓にはギノザールの村  遠くにはティベリアの町    この地はエジプトやヨーロッパにつながるマリス街道が通る要衝の地であった 1187年サラディン率いるイスラム軍はティベリア近郊に陣を敷く  アッコンを出発しセフォリエを経てきたトリポリ伯やエルサレム王ルジニャンらの重武装騎兵主体の十字軍を 湖の西12キロのハッティンで迎え撃つ 真夏の7月4日  敵に(ガリラヤ湖の)水を与えない作戦でサラディンが勝利する 世にいう「ハッティンの戦い」である       

ガリラヤ湖   

山上の垂訓教会よりとる      ヨルダン大峡谷帯にある海抜マイナス213mの淡水湖      17/8/2007    イスラエル   

イエスの布教活動はほとんどこの周辺でされる 使徒となったペテロとアンデレ、ヨハネとヤコブ兄弟たちに「山上の説教」をしたり 奇跡をおこなったのもこの湖畔である


ガリラヤ湖面から見上げる山上の垂訓教会   

受胎告知教会          1969年完成   中近東最大級のモダンな教会     13/8/2007       ナザレ

受胎告知教会ファサード

Basilica of the Annunciation マリアが大天使ガブリエルから受胎告知を受けたとされる洞窟の上に建つ 洞窟とは以外です フラ・アンジェリコ や

ダヴィンチの受胎告知の絵とは大分印象が違う 最初の教会はローマ皇帝コンスタンチヌスの母が建てたとされる  ヴィザンツや十字軍時代の教会も残るが オスマン帝国の17Cにはフランシスコ会の修道士がナザレに住むことを許され 現在はムスリムとクリスチャンが混住する町です 


    カナはナザレの北7キロ位に有り イエスが最初の奇跡を行った場所とされる 婚礼の宴席でワインがなくなり イエスが水瓶にはった水をワインに変えた この奇跡を記念して1881年に フランシスコ修道会がザルツブルグ大聖堂をモデルに建てた教会   ルーブル美術館で一番大きい絵で 130人の招待客が描き込まれたヴェロネーゼの作品「カナの婚礼」とは大分雰囲気が違う イスラエルに行く前にほとんどの人は西洋絵画からなんらかのイメージができていると思います  もちろん画家自身も行ってません   13/8/2007     カナ   イスラエル   


パンの奇跡の教会 

タプハとはギリシャ語のヘプタゴン「7つの泉」が変化したものといわれる  現在でもこの近くに泉がありガリラヤ湖に注いでいる

(右)はその中庭                     タプハ

祭壇前の床に残るビザンツ時代のモザイク   350年には既に建てられ 6Cに修復された  イエスが5つのパンと2匹の魚を増やして5000人の群集を満腹にしたという奇跡に因む マルコ・マタイ・ルカ・ヨハネの全ての福音書に記載される奇跡  現在はベネディクト教会が管理

                     13/8/2007     タプハ 


聖ペテロ首位座教会のメンザ・クリスティー

「キリストの食卓」と呼ばれる岩のことで 復活をしたキリストが ペテロたちとこの岩の上で食事をしたと信じられている          カペナウム 

メノラーの彫られた柱頭飾り 上部中央 

聖ペテロの像 右手にはアトリビュートの天国の鍵 左手には羊飼いの杖 足元には魚(セント・ピーターズ・フィッシュ)がいます

ペテロの家の跡                                 カペナウム

(上)これは4Cのシナゴークの跡 イエスは洗礼者ヨハネが捕えられるとナザレを去り  ガリラヤのカペナウムに移りシナゴークなどで宣教を始める  当時の玄武岩のシナーク廃墟の上に建てられた     カペナウムとはヘブライ語で「慰めの村」の意味 


途中で見たベドウィンの集落

クムラン遺跡


クムラン遺跡  (上)1947年この洞窟の中からBC2Cに書かれたヘブライ語の経典がベドウィンの羊飼いの少年により偶然発見される いわゆる「死海文書」の最初の発見で それまでの古いものよりも千年も遡ることになった     13/8/2007

(上)儀式のための沐浴場跡より 後方は死海と対岸のヨルダン側の山 死海のシアン色と山肌の赤茶色の対比はすばらしい

  BC8C頃ユダヤ教の一派であったエッセネ派の人たちは独自の修道生活・共同生活をするためにクムラン周辺に住みついた 当時の遺跡が残っている   


マサダ   マサダはアラブ語で要塞・砦の意味 BC100年頃に居住が始まったが ヘロデ王の時代に冬の宮殿として大改造される AD70年ユダヤがローマに反抗しエルサレムが陥落するが ゼロータイの急進派約千名はこの砦にたてこもり抵抗 ローマ軍は3万の兵で兵糧攻めにするも3年持ちこたえた   眼下の砂漠にはローマ軍が置いて行った陣地跡とマサダを囲んだ防御壁が残る (右下続く) 

急峻なマサダ要塞の崖

ロープーウエイで簡単に上がれるが徒歩でも登れる  写真は北側の3層になった宮殿の跡 

後方には死海が青く見えている

                                 14/8/2007 マサダ   イスラエル

そこでローマは奴隷のユダヤ人を使って土を盛り マサダの頂上までの道をつくった 敗北を覚悟した砦のユダヤは 自決は禁じられていたのでくじを引き 仲間を殺すものを決め最後の一人は自殺をした 彼らはユダヤの英雄とされ 今もイスラエル軍の入隊宣誓式はここで行われる 


マサダの頂上より死海をのぞむ                   イスラエル


ディライーヤ遺跡  サウード家発祥の地  第1次サウード王国(1745~1818年)の首都 ムハンマド・ビン・サウードが宗教家ワッハーブと手を組みほぼアラビア半島を手中に収める リヤド

近代都市のシンボル     2000年完成   アルファイサリア・タワー   267m     11/8/2009   リヤド     サウジアラビア


マスマク・フォートレス      マスマクとは「厚い壁」の意味

1902年アブドル・アジーズがここを10名程で急襲し家臣のアジュラーンを殺害してラシード家からリヤドを奪還 今の第3次サウード王国の伝説の地 リヤド

マスマク・ フォートレス   俯瞰図

20C前半までここは砂漠の荒野のオアシス都市であった 因みにリヤドとは「庭園」の意味 

 


ジュッバ      ネフド砂漠西端の村 ハーイルの北約100km  有史以前の人や動物の岩絵が多く残る 

Jubbah                                       12/8/2009

今はこの辺にオリックスは生息していない  カタール航空のマークに使われている


アルウラ村    ヒジャズ地方       ヒジャズのワジにあるオアシス村 左の山はヒジャズ山脈  ヒジャズとは「衝立」の意味 道路左側手前の土壁の地区が 1960年代まで住んでいたところで  石油がサハー地方で出はじめてからみんなが奥の新しい住居に移り住むようになった  道路より右側はオアシス農地              410051        13/8/2009        サウジアラビア   

村の旧住居地区(今は無人)

村の生活用井戸の渡し梁に 1906年製のヒジャズ鉄道のレールが使われていた

通路は狭いが日陰が確保され涼しい


(左) アルウラ村のムハンマドゆかりの古いモスク  

 

旧市街のメインストリートで ちょうど散歩に来ていた近くの農園の家族と出くわし ご好意でオアシス農園(下)を見学させてもらう


オアシスの果実   枝もたわわに実を付けたマンゴウの木  農家の作物への愛着が伺えた 

アルウラ村のオアシス農家にて    410052        13/8/2009

オアシスの家畜       遊牧民のベドウィンは少なくなったがオアシス農家では家畜を飼育している アルウラ村のオアシス農家       410053        13/8/2009  

左のヒジャズの岩山に平行して 右に鉄道レールが敷かれた砕石跡が連続してまだ残る

ヒジャズ鉄道 アルウラ駅(No.21)跡

ライオンのレリーフのある断崖の墳墓 BC2800頃


ヒジャズ鉄道の残骸  1908年ダマスカスとメジナの間が巡礼移送の目的でドイツの技術指導のもとオスマントルコにより完成   その8年後「アラビアのロレンス」により破壊された レールはベドウィンが持ち去る 今は近くに修復されたマダイン・サレ駅がある    【歴史】フサイン・マクマフォン協定を結んだメッカの太守であったフサインは 1916年オスマン帝国に反乱をおこし ヒジャズ王国を建設  その後1924年サウード王家に併合される                    サイジアラビア  14/8/2009   

修理工場    ドイツ製のSL機関車が残る

 

軌間1050mmの狭軌


マダイン・サレ (アル・ヒジル)   ヒジャズ             ペトラと同じナバティア人が住んだ地域で 神の使い「サレ」に呪われたマダイン「町」とクルアンに記されていてサウジアラビア最初の世界遺産だが 現地のひとはあまり寄り付かない 墳墓が約200基が点在    410055    13/8/2009    サウジアラビア          

ロイヤルファミリーのプリンセスらしい 許可を得て一斉にシャッターが押された 最近は王族が増えて国家負担の問題になっているらしい  

アル クラマイト


カスル アルサーネ

シーク


カーサ アルビント   娘の恋愛に反対する王が娘を閉じ込めた伝説がある

墓の内部の空洞は岩石を四角い形に削り出してこしらえたことがよくわかる


シークの壁に彫られた ナヴァティアの神

王室の大墳墓 完成していたらここで最大の規模の墳墓であった 上から下へ作業をしたことがわかる


シーク と ディワン(集会所)    エスリブ丘北側

エスリブの丘 

エスリブの丘にある水槽


カスル・アルファリド   夕日に染まるのを待つ  マダインサレの南の端にある墳墓  墳墓は一族でつかわれるが 多くの碑文に「元の所有者以外の使用禁止」の警告が刻まれている                           410056        13/8/2009 マダインサレ

非イスラム教徒はこの看板表示のあるメッカの手前25km地点までしか近づきません

参考 大ハッジのときの印刷写真です

ジッダに向かってこの辺で引き返す

ハッジのときに巡礼者を運ぶために置いてあるバス この周辺だけでも何百台も見ました


ナシーフ・ハウス   19Cに栄えた豪商ナシーフ家の邸宅 当時この栴檀の木がこの辺で唯一の樹木であった 1925年この地を征服したアブドル・アジズやT.E.ロレンスも一時期この家を利用した

ジッダの旧市街  手掘りの鎧戸の付くラワシン(ベイウィンドウ)は 湿気の多い町で風を通し 外からは見えず中からは見えるように女性に配慮したジッダ建築の特徴の一つ   


この辺に砕石場はなく 古い建築の基礎には海岸の珊瑚石灰岩が繋ぎの粘土とともに使われた

旧市街はモダンな高層ビルで囲まれている

6Cにササン朝ペルシャと東ローマ帝国の対立が激化し 交易上紅海ルートが使われ始める  7Cイスラム教が興りジッダはメッカ・メジナへの巡礼拠点ともなる  647年カリフのオスマン・ビン・アファンにより港湾都市が建設されヒジャズ地方の中心都市として栄える その後イスラムの諸王朝・オスマン帝国の支配を受け 1925年にサウード家により再征服される リヤドが政治の中心地ならジッダは商業の中心地である 因みにジッダは「おばあさん」の意味で「イブ」の墓がジッダにあるという伝説に基ずく 


タイバット・シティー   博物館 15/8/2009     ジッダ

 



ドバイのトランジットでおもわぬ待ち時間できたので

世界一高い建物「ブルジュ・ハリファ」に登りました 

空港から電車一本と徒歩

高さ828m 160階建 108階までホテルとマンション

上部はオフィスと展望台

2009年のドバイショックで資金難に陥るもアブダビのハリーファ氏の肩入れで完成にこぎつけ  名前も当初予定の「バージュ・ドバイ」から「バージュ・カリファ」に変る      しかしもう既にこれより高い1000mを超す建物が周辺内外に複数建築中だそうで常に破られるのが記録です ドバイ    アラブ首長国連邦

410111        16/6/2013

高さ452mからの展望             地上の騒音が聞こえない分不気味な高さを感じる

410112        16/6/2013

展望台には 828mの世界一高い建物のギネス認定証(2010年1月4日)が飾られている

UAE

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ドーハのダウ船  (Dhow)

アラブのダウ船は一番古い型の伝統的木造帆船の一つで  現在でもアラビア湾やインド洋で活躍している さすがに今はエンジンを積んでいるが船尾が高くなった特徴はかわらない

410211        10/8/2009        カタール

ラクダ市場

石油天然ガスの天然資源で収入の多くを稼ぎ 外国籍の出稼ぎの数が自国籍の人口を上回る

しかし昔ながらのラクダ市場も残っている

ドーハ  

 

410212        10/8/2009        カタール

カタール イスラミック カルチャラル センター

 螺旋形の塔はひときは目立つ建築物

 

 

 

 

410213       10/8/2009   

 


 ドーハのオールドタウン

 

 

 


410214       10/8/2013        カタール     


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